山下区域が手狭になったこともあり、英仏軍が現在の港が見える丘公園一帯に駐屯しはじめた文久3(1863)年から外国人居留地も拡張し始めた。25番地下部には、本図を出版した増田万吉宅が記されている。増田は、本図を出版した翌年の明治5年にオランダからイギリス製潜潜水用へメット10台を輸入し、その後自ら潜水具を製造した人物でもある。