画面から中央にかけて電線が敷設されているが、その右手沿海部は明治2(1869)年から高島嘉右衛門によって埋め立てられた場所であり、現在「高島町」としてその名が残っている。画面中央部の更地には、居留外国人の生活環境改善の一環として明治8年英国人技師リチャード・ブラントンの都市計画にもとづき、日本初の西洋式公園が設置された。右下の楕円形は、慶応2(1866)年に外国人居留民の娯楽施設として建設された競馬場である。