元禄年間(1688〜1704)の板行と推定されるが、描き方はこの頃の日本図の主流であった流宣図より古いタイプである行基図的である。東海道、中仙道、山陽道、長崎街道の宿駅および各地の湊は詳しく記すが、その他は主な城下のみである。各国の石高が記され、相模国19万4千石余は江戸時代初期の数値である。