17世紀後半地図製作の中心地がオランダからフランスへ移ると、装飾性を排した地図製作に重点が置かれた。カッシーニに天文学を学んだフランス人ギョーム・ドゥリールは正確さを期したことで名声が高まり、ロシア皇帝ピョートル大帝も後援者のひとりであった。本図は1700年に刊行されドゥリールの代表的両半球世界図をさらに装飾性を排して彼の死後改訂発行されたものである。