開港直後の横浜に来日したオランダ人商人エドワード・スネル(Edward Schnell)が、文久2(1862)年横浜で「輿地航海図」(安政5年刊)を改版し刊行した航海図。もととなった「輿地航海図」は、1853年に来航したロシア使節プチャーチン艦隊の乗組員が所持していたイギリス製航海図(1845年刊)を武田簡吾が翻訳し杉田玄瑞が校閲し刊行したもので、当時最も優れた航海用世界図として評価された。