安政6(1859)年開港当初の横浜。条約では「神奈川」とされていた。版行は本町通1丁目の新栄堂。画面中央の木が生い茂っている部分は現在当館がある場所で、当時は弁天神社であった。画面左の「横浜村」が現在の元町で、万延元(1860)年居留地防衛のため開鑿される堀割川はまだ見られない。当初「異人屋敷」すなわち外国人居留地は海岸に面した区画だけであったことが確認できる。