白洲退蔵は、1882(明治15)年8月に松方正義大蔵卿から横浜正金銀行取締役を命じられた。白洲は大蔵省の官吏ではなく民間から官選取締役に任命された。それは旧三田藩主九鬼隆義と同藩のブレーンであった福沢諭吉の推薦によるといわれている。官選取締役から副頭取、そして頭取へと短期間に昇任するが、実質は第4代原頭取就任までの「つなぎ役」として役割しかなかった。