神奈川県立歴史博物館 臨時アイコン歴代頭取 目次  
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トップ画像で見る歴史と文化横浜正金銀行のあゆみ年表
 
原六郎
第4代  原六郎
ダイヨンダイ ハラロクロウ
在任期間
1883(明治16)年3月〜1890(明治23)年3月
生い立ち
1842(天保13)年
1871(明治 4)年 5月米国エール大学留学
1874(明治 7)年英国キングスカレッジ留学
1878(明治11)年 8月第百国立銀行頭取(〜83年)
1880(明治13)年 4月東京貯蔵銀行頭取(〜93年)
1883(明治16)年 3月横浜正金銀行官選取締役、頭取就任
1890(明治23)年 3月頭取辞任、取締役継続
 以後、帝国商業銀行会頭、富士製糸社長を歴任
解説

原頭取は、危機的な状態にあった横浜正金銀行の経営を抜本的に改革したいわゆる中興の祖といえる。松方大蔵卿は正金銀行の改革のため、第百国立銀行頭取である原六郎を頭取に据えて、原は松方の肝煎りで正金銀行内の改革を実施した。まず不良債権や損失を調査確定し、銀貨と紙幣とを交換した差益で補填をはかり、1885(明治18)年には欠損を解消した。外国為替の取組も急増し業務拡大には資金不足であったため、1887(明治20)年3月に資本金を600万円に倍額増資した。一方、正金銀行を外国貿易業務に特化するため、原頭取は松方らと協議し、同年7月勅令第29号横浜正金銀行条例の制定を実現した。また、882(明治15)年に創業した日本銀行との関係を、正金銀行が外国業務を担当することで整理し、以後日本銀行と正金銀行とが両輪となって日本の財政金融を牽引していく基礎を確立した。

 
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