園田孝吉頭取もまた松方大蔵大臣の推薦により頭取に就任した。園田は長くロンドン総領事を勤め英国の銀行経営も視察しており、銀行経営者として手腕が期待された。その頭取時代は、就任前からの凶作の影響で米価が高騰し、商工業は不況を極め、銀貨の高騰により日本の輸出業界は厳しい打撃を受けた(1890年恐慌)。この影響で正金銀行も営業成績が不振となり、行内で銀貨高騰対応策を巡り意見対立を生じるなど新頭取の前途は多難であった。それを反映するように、1893(明治24)年3月の株主総会で配当率の役員提案が修正されるという創立以来初めての異例な事態となった。営業面では、上海、香港、ボンベイなど東洋の商業的要地に支店や出張所を設置する一方で、日清戦争賠償金の収受事務をロンドン支店が担当することになり、頭取自ら出張した。これを機会に政府在外資金の保管出納事務を日本銀行代理店として取り扱うことになった。
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