相馬永胤は、歴代頭取の中でもっとも長く役員を務めた。1882(明治15)年から1924(大正13)年までの41年間にわたり取締役に任じ、その間26ヵ月だけ取締役を離れたが、内外法律相談役を委嘱されるなど、横浜正金銀行との関わりは深く長かった。相馬頭取時代は、1897(明治30)年の金本位制実施により欧米諸国との為替相場の影響が減少し、欧米相手の為替取扱高も順調に伸び、正金銀行の経営も順調な時期であった。また、日本銀行代理店として日露戦争の戦費調達を目的とする外債募集を担当した。一方中国への業務拡張を計画し、頭取役員の中国出張調査も数度にわたり、その結果要所への支店設置も相次いだ。しかし、中国は銀本位制で幣制も複雑なため貿易上の困難も少なくないことから、大蔵省と協議し、横浜正金銀行一覧払手形の発行などによる満州幣制の整理がもくろまれた。1899(明治32)年には資本金を1200万円に倍額増資し、翌年2月27日に営業満期を迎え、さらに20年間の営業延長を決定した。
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