神奈川県立歴史博物館 臨時アイコン歴代頭取 目次  
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トップ画像で見る歴史と文化横浜正金銀行のあゆみ年表
 
三島弥太郎
第8代  三島弥太郎
ダイハチダイ ミシマヤタロウ
在任期間
1911(明治44)年3月〜1913(大正2)年3月
生い立ち
1867(慶応3)年
1883(明治16)年 9月駒場農学校入学。1885年米国留学
1888(明治21)年12月北海道庁技師試補
1889(明治22)年 6月米国コーネル大学大学院入学
1892(明治25)年 2月帰朝、7月農商務省農務局嘱託
1893(明治26)年 4月逓信省官房傭・秘書官室勤務
1897(明治30)年 7月貴族院議員(〜1919年)
1898(明治31)年 6月岩越鉄道社長(〜12月)
1906(明治39)年 6月横浜正金銀行嘱託
1907(明治40)年 3月取締役(〜1913年)
1911(明治44)年 6月頭取(〜1913年)
1913(大正 2)年 2月日本銀行総裁(〜1919年)
解説

三島頭取は、日本銀行出身の井上準之助副頭取とのコンビで行内改革に着手し、その上でカルカッタやハルピン、サンフランシスコなどに出張所や分店を開設し、業務の展開をはかった。また懸案であった日仏銀行の創立に参画し、同行とは互恵的な業務提携を結んだ。一方中国では辛亥革命が勃発し、これによる混乱と経済的な影響を受けながらも、中国漢冶萍公司への借款契約を1912(明治45)年2月に締結した。漢冶萍公司とはその前身の漢冶萍煤鉄廠礦有限公司時代から借款契約を結んでいたが、1914年まで6度にわたり借款契約を締結し、八幡製鉄所用の鉄鉱石の供給を確保したのである。

 
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