井上頭取の時代は、第一次世界大戦の勃発の影響で日本の輸出が激増し、横浜正金銀行の外国為替取扱高も急増し、1918(大正7)年には貿易総額のうち正金銀行の取扱高は89%を占めたように正金銀行は著しい経営発展をした。好調な経営を反映して世界各地に相次いで支店を開設し、貿易業務の拡大がはかられた。一方1917(大正6)年に政府は満州地域における横浜正金銀行券の強制通用力を失効させ、中枢金融機関の座を朝鮮銀行や東洋拓殖株式会社に交代させることになったが、満州以外の中国では変更はなかった。また、輸出超過を反映して国内には正貨が激増し金融は緩慢状態にあったため、諸外国からが日本での公債募集が相次いだ。正金銀行は国内銀行の中心になってこれらの公債募集に対処していったのである。
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