1819(大正8)年3月、元頭取の三島弥太郎日本銀行総裁が急逝し、井上横浜正金銀行頭取が後任総裁に就任したことから、副頭取の梶原仲治が第11代頭取に就任した。梶原頭取の時代は、前頭取時代からの業務拡大に対応するため資本金を1億円に増加し、各地の出張所や分店を一部を除き支店に昇格させた。また1919(大正8)年に第二次営業年限満了を迎えることから、引き続き営業を50年間延長することを決定し、株主及び役員・関係者に記念品を贈呈した。なお初代頭取中村道太へも慰労金が贈呈された。1920年4月株式暴落により金融不安が増大し、神奈川県内の諸銀行で発生した取付にともない、正金銀行は各行へ資金融資をおこなうなど神奈川県内の金融機関救済にも取り組んでいる。この時期、頭取席や幹部の事務場所が東京支店へと移され、本店機能は事実上横浜から東京へと移った。
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