大久保頭取も横浜正金銀行出身の頭取であったが、その時代は世界的な不況が蔓延するなかで、日中戦争がはじまり太平洋戦争へと拡大する戦時体制とほぼ重なる。大久保は、世界規模の金融機関の頭取として国策の求めに応じて正金銀行の舵取りを進めなければならなかった。また、1937(昭和12)年9月からは横浜正金銀行条例が改正されて、正金銀行と日本銀行との協力関係構築のため日銀理事が横浜正金銀行副頭取を兼任する制度が新設された。