展示

相模人形芝居 - 本朝廿四孝より勝頼と八重垣姫

開館中に毎月実施していたウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。

2020年7月の逸品

相模人形芝居 - 本朝廿四孝より勝頼と八重垣姫
(さがみにんぎょうしばい - ほんちょうにじゅうしこうよりかつよりとやえがきひめ)

相模人形芝居 - 本朝廿四孝より勝頼と八重垣姫<br>(さがみにんぎょうしばい - ほんちょうにじゅうしこうよりかつよりとやえがきひめ)

相模人形芝居 - 本朝廿四孝より勝頼と八重垣姫 複製
重要無形民俗文化財
協力:相模人形芝居五座連合会

7月の逸品は、相模人形芝居―本朝廿四孝より勝頼と八重垣姫と、その展示についてご紹介いたします。
当館2階の民俗展示室を順路に沿って歩いていくと、華やかな衣裳が目を引く相模人形芝居の展示が見えてきます。人形芝居でしばしば演じられる演目の一つ「本朝廿四孝」(※注1)の勝頼(図1)と八重垣姫(図2)の人形です。展示背景には人形遣いの影も描かれ(図3)、まるで舞台で演じているかのような錯覚を抱くことでしょう。

相模人形芝居とは、相模国で伝えられてきた人形浄瑠璃(じょうるり)のことです。江戸時代末期から明治にかけては相模国内では少なくとも15箇所でおこなわれていました。しかし現在は長谷座と林座(厚木市)、下中座(小田原市)、前鳥座(さきとりざ)(平塚市)、足柄座(南足柄市)の5座のみが活動を継続しています。このうち、長谷座・林座・下中座は1980(昭和55)年に国の重要無形民俗文化財に、前鳥座・足柄座は1982(昭和57)年に県の無形民俗文化財に指定されました。

相模人形芝居の特徴は、淡路人形の系統をひく江戸系鉄砲遣いであることで、一般的に人形の遣い方や頭とノド木を付ける角度が大阪の文楽とは違うところです。鉄砲遣いは“鉄砲ざし”とも呼ばれ、頭を操る時の格好が鉄砲を構えたようになることからきています。また、人形の操法が主(おも)遣い・足遣い・左遣いで操る三人遣いであるところや、文楽に比べると頭の大きさが一回り小さいことも挙げられます。では相模人形芝居はどのような人たちによって相模川や酒匂川沿いの村々にもたらされたのでしょうか。
江戸時代末期、江戸には結城座や薩摩座といった人形芝居がありました。しかし明治維新により衰退し、人形遣いらは江戸近郊の農村へ赴き人々に人形芝居を教えて回ったのです。もちろん生活のためだったのでしょう。このため江戸で行われていた淡路人形系の鉄砲遣いと三人遣いの操法が相模国に継承されていくこととなったのです。しかし一つ付け加えておくとすれば、各村々には明治以前から、関西の人形芝居一座が長逗留したり、農閑期に義太夫を稽古するなどの芝居を受容する素地はあったということです。

さて、「本朝廿四孝」の勝頼と八重垣姫の展示コーナーは、1995(平成7)年の当館リニューアルの際に神奈川県を代表する民俗芸能ということで新たに設けられました。相模人形芝居連合会の協力のもと、勝頼は足柄座、八重垣姫は林座の人形を参考に複製資料を作りました。地域の祭礼や公演で鑑賞する人形芝居も魅力的ですが、博物館の展示室で人形とじっくり向き合うのもお勧めです。

新型コロナの影響により公演や稽古が中止されていた座もあるようですが、少しづつ活動が再開されているようです。コロナ騒動が落ち着いたら各芝居座の公演に足を運んでみてはいかがでしょうか。毎年恒例の相模人形芝居大会についても各座のホームページでご確認いただければと思います(参考:平塚市HP内 相模人形芝居連合会)。(三浦 麻緒・当館非常勤学芸員)

※注1 「本朝廿四孝」は、1766(明和3)年に大坂の竹本座で初演されました。戦国時代の武田信玄と上杉謙信の戦いを脚色した時代物です。全五段のうち、謙信の娘・八重垣姫が登場する四段目の〈十種香(じゅしゅこう)〉の場と〈奥庭狐火(おくにわきつねび)〉の場がしばしば上演されます。

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