おうちでおんせんきぶん

おうちでおんせんきぶん!(令和3年2月18日公開)


(パンチの守)イタタタ!

(犬のカメ)!?パンチの守さま!?どこか痛いんですか!?

パンチのかみいやいや腰が少し痛くてのう。本当なら温泉に入りたいところじゃが、すぐには温泉にもいけないしのう。

カメそうですね~。とりあえずわたしがパンチの守さまの腰をおもみしましょう。あとはかながわけんぱくが所蔵している温泉の資料をみて温泉気分を味わいましょう。

パンチのかみ悪いのう。どれどれ。これは箱根温泉の資料か。箱根温泉は今でも有名じゃが、江戸時代も有名じゃったのじゃのう。

カメ江戸時代の人も今と同じように温泉が好きだったのかな?みんなでいっしょにみてみよう!

 

カメもしもしカメよカメさんよ(カメの質問コーナー)

【箱根七湯(はこねななゆ)ってなに?】

カメ江戸時代は、「箱根七湯」(湯本・塔ノ沢・堂ヶ島・宮之下・底倉・木賀・芦之湯)の温泉場が、江戸近郊の湯治(とうじ)客を集めにぎわっていたんだよ。

 

【湯治(とうじ)ってなに?】

カメ今の箱根温泉には観光で行く人が多いよね。湯治とは病院に入院するように、温泉宿にしばらく滞在して、温泉に入って病気を治すことなんだよ。温泉には色々な種類があって、それぞれどの病気に効くかが違うんだよ!湯治では基本的に自分でご飯を作って食べるんだ。お金を払えば食事の仕度をしてくれる「雇(やとい)ばば」さんを雇うこともできたんだよ!

七湯の枝折(ななゆのしおり)

 

箱根七湯全図

 

パンチのかみ「七湯の枝折」は江戸時代の箱根七湯のガイドブックで、文窓(ぶんそう)と弄花(ろうか) という人がつくったのじゃ。

カメ江戸時代後期になると、箱根温泉は、本当は病気の療養を目的とする温泉場なのに、観光を目的とするひとが多くなったんだ!だから箱根七湯がそれぞれ何の病気に効くのか、温泉の入り方、温泉に入った後にやってはいけないことなどを紹介して、箱根温泉の湯治の手引書として「七湯の枝折」を作ったんだよ。

パンチのかみしかし温泉場の挿絵があったり、箱根七湯の泉質や効能、みどころなどが詳しく書かれているから、本来の目的とは裏腹に箱根の観光案内書として評価されていったのじゃ。

カメ「箱根七湯の枝折」をつくった二人は残念がっているかもしれませんね!でも皆は楽しんで読んでいたんだろうな~。「七湯の枝折」の内容を私が簡単に説明しますね!

 

七湯の枝折に描かれている温泉の地図

 

箱根七湯の地図

 

カメそれぞれの温泉の図は上の地図の矢印の方向から描かれているよ!

湯本之全圖(ゆもとのぜんず)巻の二 湯本の部

湯本之全圖(ゆもとのぜんず)巻の二 湯本之部

 

【湯本之全圖(ゆもとのぜんず)巻の二 湯本の部より】

冷湯にして気味なし、小田原より壱里半五町、塔の澤へ十弐丁

湯宿十一軒 効験:脚気・すぢけ・骨痛・痔疾ほか

福住九蔵・小川万右衛門の外は小宿とある。古は早雲寺足洗湯と呼ばれた。

カメ(カメの解説)

温泉の泉質を温度と味で紹介しているよ!

湯本のお湯はあんまり熱くなくて、風味もしなかったみたいだね。

小田原から約6.5キロ、塔ノ沢へは約1.3キロだね。

湯宿は11軒。お湯は脚気(かっけ)や、すぢけ(こむらがえり)に効果があったんだ。

「福住九蔵」「小川万右衛門」という宿以外は小さくて、昔湯本は「早雲寺足洗湯」と呼ばれていたんだ。

塔之澤全圖(とうのさわぜんず)巻の三 塔之澤の部

塔之澤全圖(とうのさわぜんず)巻の三 塔の澤の部

 

【塔之澤全圖(とうのさわぜんず)巻の三 塔之澤の部より】

辰砂湯なり、温湯にして気味かろし、湯もとより爰迄十二丁

湯宿四軒、総て内湯 効験:中風(脳出血による麻痺)・脚気・筋痛・冷症・頭痛ほか

子宝湯としても有名。

カメ(カメの解説)

辰砂というのは赤褐色の砂のことだね。湯治に使った手ぬぐいが「うす紅」に染まることからそう考えられていたようだよ。

お湯は温かくて風味は軽かったんだね。

湯本から約1.3キロだね。宿は4軒あって、全部内湯だったんだ。

お湯は筋肉痛や頭痛に効果があったんだね。

堂ヶ嶋全圖(どうがしまぜんず)巻の四 堂ヶ嶋の部

堂ヶ嶋全圖(どうがしまぜんず)巻の四 堂ヶ嶋の部

 

【堂ヶ嶋全圖(どうがしまぜんず)巻の四 堂ヶ嶋の部より】

温湯にして気味しほはゆし(塩映し)、大滝の湯ハあつし、標石にも熱湯の大たきとあり

湯宿五軒、効験:積聚(さしこみ、癪)・疼痛・脚気・中風・血塊ほか

大瀧小滝の湯など様々な名湯あり。

カメ(カメの解説)

お湯は温かくて、味はしょっぱかったみたい。「大滝の湯」は熱くて標石にも「熱湯の大たき」と書かれていたんだ。

よっぽど熱かったんだね。

宿は5軒あって、お湯はさしこみなどに効果があったみたいだね。

大滝小滝の湯などさまざまな名湯があったんだね。

宮之下全圖(みやのしたぜんず)巻の五 宮下の部

宮之下全圖(みやのしたぜんず)巻の五 宮下の部

 

【宮之下全圖(みやのしたぜんず)巻の五 宮下の部より】

塔之澤より此処迄壱里半、堂かしまよりハ四五丁、温湯にして気味塩ハゆし

湯宿五軒、効験:頭痛・痃癖(かたこり)・腰痛・脚気・積聚ほか

諸侯がたの湯治は宮之下・塔之澤。玄関に幕を張り、門前に関札が立つ。

カメ(カメの解説)

塔ノ沢からここまで約6キロ、堂ヶ島からは約0.5キロ、お湯は温かくて、味はしょっぱかったみたい。

宿は5件あって、お湯は頭痛や肩こりに聞いたんだね。諸侯、つまり大名みたいな偉い人たちの湯治は宮ノ下か塔ノ沢だったみたい。

偉い人が湯治をするときは玄関に幕を張って、門の前に関札が立っていたんだ。

底倉全圖(そこくらぜんず)巻の六 底倉の部

底倉全圖(そこくらぜんず)巻の六 底倉の部

 

【底倉全圖(そこくらぜんず)巻の六 底倉の部より】

宮の下より此所迄三四丁町つつきなり、温湯にして気味至て鹹し(しおからし)、熱湯なり

湯宿四軒 効験:痔疾・淋病・疝気(下腹部痛)・中風ほか

豊臣秀吉が浴した太閤石風呂あり。痔病に究めて験あり。

カメ(カメの解説)

宮ノ下からここまで約0.4キロ、お湯はしょっぱくて、すごく熱かったみたいだね。

宿は4軒あって、お湯は疝気(下腹部痛)などに効いたみたい。

豊臣秀吉が入ったと言われている「太閤石風呂」があったんだね。

特に痔の病気に良く効いたみたいだね。

木賀之全圖(きがのぜんず)巻の七 木賀の部

木賀之全圖(きがのぜんず)巻の七 木賀の部

 

【木賀之全圖(きがのぜんず)巻の七 木賀の部より】

底くらより此所へ半道(約2㎞)なり、温湯にして気味鹹して、すミ(酸)あり。

湯宿三軒 上湯(亀屋)効験:気血不順・気虚・久咳・脚気・むなさわきほか

大瀧(柏屋)効験:鬱症・上気・頭痛・疝気・しびれほか

菖蒲(柏屋)効験:滞下・崩漏(不正出血)・痔疾・腰痛ほか

岩湯(仙石屋)効験:手足不仁・しひれ・中寒(風邪)・中風・霍乱(熱中症)ほか

カメ(カメの解説)

底倉からここまで約2キロ、お湯は温かくて、味はしょっぱくて酸味もあったみたいだね。

宿は「亀屋」「柏屋」「仙石屋」の3軒で、それぞれ効能が違ったんだね。

芦之湯全圖(あしのゆぜんず)巻の八 芦の湯部

芦之湯全圖(あしのゆぜんず)巻の八 芦の湯部

 

【芦之湯全圖(あしのゆぜんず)巻の八 芦の湯部より】

湯宿六軒 効験:打身・すちけ・脚気・湿瘡(皮膚病)・腋気(わきが)ほか

箱根七湯唯一の硫黄泉。子宝湯としても有名。此湯の功あること世に語られ療客つどいたること蟻のごとし。

カメ(カメの解説)

宿は6軒あって、お湯は打身などに効いたみたいだね。

箱根七湯唯一の硫黄泉だったんだね。

蘆之湯風呂内之全圖(あしのゆふろないのぜんず)

蘆之湯風呂内之全圖(あしのゆふろないのぜんず)

 

【蘆之湯風呂内之全圖(あしのゆふろないのぜんず)巻の八 芦の湯部より】

浴室は一棟にて中を四壺に分け、上を底なしとて浴槽の底に石を敷き、その間より温泉湧出る。湯は少しぬるし。

二は中の湯とて湯口は異なり。底なしよりあつく湯あらし。三は小風呂と唱へて程よくあつし。

四は大風呂とて、板を隔て小風呂の湯と同じく湯口ひとつなり。此所の湯に限りては真水一滴も交わらず。混々として日夜湧出する。

カメ(カメの解説)

芦ノ湯のお風呂の全体像だよ。1ヶ所に4種類のお風呂があってそれぞれちがう温泉が引かれていたんだね!

江戸時代のひとも色々なお風呂や泉質を楽しんでいたんだね!おもしろいな~!

(底なし湯)

底なし湯

カメ浴槽の底に石を敷いてその間から温泉が湧き出ていたんだね。お湯は少しぬるかったんだね。

(中の湯)

中の湯

カメ 中の湯は底なし湯とは別の湯口で、底なし湯より熱かったんだね!

(小風呂)

小風呂

カメ 小風呂はほどよく熱かったんだね。男の人と女の人が一緒に入ってるけど基本は混浴だよ。他の人と入りたくない時は幕湯といって、のれんをかけて貸し切りにするよ。ここでは小風呂が幕湯に使われていたみたいだね。今で言う貸切風呂だね。

(大風呂)

大風呂

カメ大風呂は板を隔て小風呂の湯と同じ湯口で、芦ノ湯では日夜こんこんとお湯が沸き、お水が一滴も入っていなかったんだって!源泉100%だ!

鈴木藤助日記(すずきとうすけにっき)

ワンワン!パンチの守さま、当時の箱根温泉の様子は「七湯の枝折」をみてわかりましたね!当時の人はどんな風に箱根温泉に来ていたのでしょう?

それなら「鈴木藤助日記」という資料をみてみようか。これには鈴木藤助という人物が箱根までの道中や温泉場で過ごした日々の出来事や入浴回数などが書かれているのじゃ。

へぇ~!そんな日記があるんですね!どれどれどんなことが書かれているのかな?

鈴木藤助日記

 

 

鈴木藤助日記の内容

 

 

これは江戸時代、武蔵国橘樹郡長尾村(むさしのくにたちばなぐんながおむら)(現川崎市宮前区)に住んでいた鈴木藤助さんという人が書いた日記じゃ。鈴木藤助さんは慶応3(1867)年7月19日の夜に具合が悪くなったから、親戚の権六(ごんろく)さんと一緒に芦之湯にある吉田屋へ湯治の旅に出たのじゃ。湯治は自分でご飯を作らないといけないからお手伝いに留さんを連れていったのじゃ。

23日間の湯治の日々を送ったみたいですね。「七湯の枝折」には温泉に入るのは1日6、7回が限度と書いてあるのに、藤助さんは10回入った日もあったみたいですね。

それは入りすぎではないかのう?入りすぎて湯あたりしなかったのかのう?

そうですよね~。ところで温泉旅行の費用はどのくらいかかっていたんですかね?

藤助さんは権六さんから金6両を受け取っているみたいじゃのう。本当はそれ以上のお金がかかっているのかもしれないが、親戚だからおまけしてくれたのかもしれんのう?

そんなにかかるんですねー。

この箱根温泉の資料は令和3年1月5日(火)~3月28日(日)の期間、常設展示室2階でトピック展示として展示予定だったのじゃ。

コロナで休館になってしまって残念でしたね。

再開館した際には再び展示する予定じゃ。再開館したら是非観に来てくれ!

【参考文献】

  箱根町立郷土資料館 企画展図録『七湯の枝折』(2004)
  岩崎宗純『箱根七湯-歴史とその文化-』(有隣新書 1979)
  菊川城司「ワクワクはこね温泉 第3回「塔之沢温泉」」(「神奈川県温泉地学研究所観測だより」第60号 2010)

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