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テーマ5−1・現代 ○現代の神奈川と伝統文化[歴史]○
 神奈川県は、関東大震災と第二次世界大戦時の空襲という二つの大きな被害を乗り越え、現在では東京都に次ぐ人口の多い県となっています。昭和30年代後半からの高度経済成長期に急激な人口増加があり、そのため農地が宅地化され、道路などの社会資本が整備されました。その一方公害や交通戦争など社会問題も発生しました。

関東大震災絵葉書 関東大震災を越えて
大正12年(1923)9月1日に関東地方を襲った大地震によって神奈川県内全域で大きな被害を受けました。横浜の市街地は、ほとんどの建築が倒壊し、地震直後に火災が発生し、このため多くの人命が失われました。また震源に近い県西部の被害は甚大でした。
●関東大震災絵葉書 大正12年

ホワイト社製ミシン 昭和恐慌と社会変化
昭和恐慌といわれる大不況により失業者が街にあふれ、労働争議、小作争議などの社会運動が多く発生しました。その一方で庶民の生活はガスや電気が普及し、都市部ではダンスホールやカフェー、円タクなどのモダンと呼ばれる文化現象があらわれました。
●ホワイト社製ミシン 昭和時代初期

国策湯丹保 戦時体制と敗戦
昭和6年(1931)の満州事変以降、日本は戦争への道を歩みはじめます。神奈川県は陸海軍の基地や軍需工業が多数あり「軍都神奈川」と呼ばれました。すべての人々が戦時体制に組み込まれ、戦争遂行のために動員され、耐乏生活を強いられました。
●国策湯丹保 昭和10年代後半

よい子の交通双六(部分) 占領から講和へ
昭和20年(1945)8月15日長く苦しい戦争は終結しましたが、代わって占領軍による進駐、広大な土地と建物の接収が始まりました。この占領により日本の政治経済体制は大きく変化し「昭和の開国」と呼ばれます。しかし、市民の生活はすぐには回復しませんでした。
●よい子の交通双六 部分 昭和27/28年頃

東京オリンピックポスター 高度経済成長と環境の変化
昭和30年代後半から40年代にかけて日本の経済は急激に成長を遂げます。とくに昭和39年(1964)開催の東京オリンピックをきっかけに、新幹線や高速道路などが整備され、上下水道など社会資本が整備されていきました。神奈川県に移り住む人が急増しました。
●東京オリンピックポスター 昭和39年頃

複合メディア模型 メディアコミュニケーション
現代は高度な情報社会です。メディアの変遷を音声・画像・文字・電波・複合の5つの要素と段階に分けて模型と実物によって提示しています。
●複合メディア模型

現代の展示品目録
Excelファイル 36k
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