天正8年(1580)8月、氏政より家督を継承。同10年2月、織田信長が武田勝頼を攻め滅ぼした後、家臣の滝川一益が関東管領となり、北条氏がこれまで保有していた東上野の支配権は奪われた。同年6月、本能寺の変で信長が急死すると、甲斐・信濃の領有をめぐり徳川家康と戦った。氏直の代に北条氏の最大版図を形成したが、豊臣秀吉など西国大名との対応が求められた。同17年、上野の名胡桃城(群馬県みなかみ町)を北条氏が奪取したことにより、秀吉は北条氏の追討を決意。翌18年7月、3ヶ月の籠城戦ののち秀吉に降伏。氏直は一族の氏規、氏忠、氏房などと高野山に配流。翌年、赦されて関東・近江に所領を与えられたが、まもなく病没した。
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