|
北条氏康の三男、母は今川氏親の娘。由井城(東京都八王子市)の城主大石綱周の養子となり、綱周と同じ源三の仮名(けみょう)を称した。弘治2年(1556)5月以前に同家の家督を継承、永禄4年(1561)7月以降に勝沼領(同青梅市)をも支配。さらに同10年頃までに滝山城(八王子市)を築城した。翌年には下総の栗橋城(茨城県五霞町)、さらに天正4年(1576)には下野の小山領(栃木県小山市)、同12年には藤岡城(同藤岡市)の領域を管轄、北条氏の北関東支配を担うとともに、古河公方への取次も務めた。小田原合戦では小田原城に籠城したが、開城後、秀吉より自害を命じられた。上部に海獣を配した「如意成就」印などを用い領域支配を行った。
|