|
北条氏康の五男か。母は今川氏親の娘。少年時代、今川家の人質として徳川家康とともに駿府(静岡市)で過ごした。永禄10年(1567)2月頃、北条綱成(氏規義父)が管轄した三浦郡の支配や三浦衆の軍事指揮権を譲られ、三崎城(三浦市)を本城とした。同12年11月、武田氏との関係悪化により伊豆の韮山城(静岡県伊豆の国市)に入り、同城の守備を行った。家康との親交もあり西国方面の外交を担当した。天正18年の小田原合戦では韮山城に籠城、降伏後は氏直とともに高野山に配流された。その後、豊臣秀吉より赦され河内の狭山(大阪狭山市)などに所領を与えられた。また、氏直の死没後は実質的に北条氏の名跡を継承した。
|