道路を朱色で表し、東海道はひときわ太い。海上の朱線は航路を示す。右上に文政12年(1829)の写しと記されている、村が小判型で囲まれること、村名に「村」字が付かないこと、大住郡の金目川が元禄期以前の流路であること等から、原図は正保年間(1644〜48)に幕府が作成した正保国絵図と推定される。記載情報の簡略化が認められるので正保国絵図そのままではないが、17世紀前期の相模国の状況を示している。