中村道太は、早矢仕有的、小泉信吉、福澤、大隈らと協議を重ねて準備を進め、1879(明治12)年10月31日に23名の連名にて「正金銀行創立願」を大蔵省に提出したが、大蔵省から差し戻された。このため11月10日に再度創立を出願し、12月11日に認可、翌年2月23日に開業免状が下付され、横浜正金銀行は営業を開始した。中村頭取時代は、資本金差加や御用外国荷為替業務など政府の手厚い保護により営業を進めたが、銀貨相場の下落や、荷為替や貸出金などに大きな不良債権を生じたことで経営危機に陥り、その責任を取って中村は1882(明治15)年7月頭取を辞任した。
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