原頭取は、危機的な状態にあった横浜正金銀行の経営を抜本的に改革したいわゆる中興の祖といえる。松方大蔵卿は正金銀行の改革のため、第百国立銀行頭取である原六郎を頭取に据えて、原は松方の肝煎りで正金銀行内の改革を実施した。まず不良債権や損失を調査確定し、銀貨と紙幣とを交換した差益で補填をはかり、1885(明治18)年には欠損を解消した。外国為替の取組も急増し業務拡大には資金不足であったため、1887(明治20)年3月に資本金を600万円に倍額増資した。一方、正金銀行を外国貿易業務に特化するため、原頭取は松方らと協議し、同年7月勅令第29号横浜正金銀行条例の制定を実現した。また、882(明治15)年に創業した日本銀行との関係を、正金銀行が外国業務を担当することで整理し、以後日本銀行と正金銀行とが両輪となって日本の財政金融を牽引していく基礎を確立した。
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