|
高橋是清は、1895(明治28)年日本銀行から横浜正金銀行に本店支配人として入行し、97年には副頭取に就任し、99年に日銀副総裁就任のため正金銀行を退職した。1906年相馬頭取の後任頭取に就任する。これは横浜正金銀行条例の日銀副総裁が正金銀行頭取を兼任できるという規程がはじめて適用された人事である。高橋頭取の時代は、中国における横浜正金銀行券発行が法制化され、さらに南満州鉄道や商社とも協同して満州(中国東北部)方面の営業拡大がはかられ、支店や出張所の開設が実施された。しかし、満州での幣制統一の方針は揺らぎ日本銀行兌換券の流通により事実上満州地方では金銀両用の幣制となった。1908(明治41)年と翌年に、本支店間の情報交換と営業方針の統一を目的とする東洋支店長会議を本店で開催した。また、1911(明治44)年3月には資本金を2400万円に倍額増資した。
|