隅田川の空を彩る両国の花火は江戸の人々にとってなくてはならぬ夏の風物詩であった。浮世絵としても多くの絵師が手掛けている。ここでは花火よりもそのシーズンに合わせた浴衣姿の美人が主体である。貞秀は天保から弘化頃にかけては美人画も制作していたが、あまり得意ではなかったようで後半は殆ど描いていない。