横浜に来た外国の珍しい動物や、見せ物は横浜浮世絵のよい画題となった。本図は、横浜の曲馬の図とみられるが、文久元年に曲馬団が来た記録はなく、実際に来日したのは4年後の元治元年である。よって曲馬をするのは異人であるが、馬や馬具は日本式であることから曲馬団がくるという噂を元に芳員が想像で描いたと思われる。