展示

祖栄筆 蘆葉達磨図(そえいひつ ろようだるまず)

開館中に毎月実施していたウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。

2022年3月の逸品

祖栄筆 蘆葉達磨図(そえいひつ ろようだるまず)

祖栄筆 蘆葉達磨図(そえいひつ ろようだるまず)

名称:祖栄筆 蘆葉達磨図
点数:1幅
寸法:本紙 縦45.5×横25.1㎝
形状:紙本墨画・掛幅装
年代:室町時代
特徴:落款 なし
   印章 朱文重郭方印「祖栄」
展示期間 2022年3月1日~3月31日

ゆきだるま
 この冬、関東地方では南岸低気圧の影響で大雪が降り、横浜にある当館の周辺でも雪が積もりました。めったに雪が降らない、降ってもちらちらと舞うばかりで積もることのない土地で育った私は、帰りの電車が動くかどうかの心配をしながら内心すこし嬉しくて、止んだあと数日経っても道端に残る小さな雪だるまを見て、できるだけ長く溶けないでいて欲しいと願うのでした。
 願いもむなしく雪だるまは溶け、梅の香りが漂う3月となりました。3月の「今月の逸品」では達磨を描く水墨画をご紹介いたします。雪だるまの絵ではなく、禅宗の祖師達磨を、室町時代の絵師祖栄が描いたものです。[図1

達磨の伝記と絵画
 達磨は南天竺(いまのインドの南方)の人で、6世紀の初めころを生きた実在の人物です。中国北宋時代の道原という人が禅の僧侶の伝記をまとめた全30巻の大部な書物『景徳伝灯録』や、おなじく北宋時代に編まれた『伝法正宗記』によると、達磨は南インドの香至国の王の三番目の子どもで、般若多羅の法を嗣いで、中国の梁という国に渡り、梁の武帝と対面し問答するが機縁があわず(「帝不領悟。師知機不契。」『景徳伝灯録』)、揚子江を渡って隣国の魏に至り(「去梁渡江」『伝法正宗記』)、嵩山の少林寺で壁に向かい終日黙然と坐り修行に励んだ(「寓止于嵩山少林寺。面壁而坐終日默然。」『景徳伝灯録』)などといいます。こうした達磨の伝記は、実際の達磨の事蹟をどれほど正確に伝えているかはひとまず措くとして、禅宗の祖である達磨の超人たることを示す逸話として人々の知るところです。
 仏教の祖であるお釈迦様の伝記がよく絵に描かれるように、禅の初祖達磨も絵にしばしば描かれますが、そのときにどんな姿で達磨を描くかというと、さきの伝記にあるような壁に向かって修行する姿、片方の履物を持って立つ姿(達磨没後の隻履西帰の伝説を描くもの)、そしてここで紹介する祖栄筆「蘆葉達磨図」のように揚子江を渡る姿などが主なものです。

祖栄の蘆葉達磨図
 祖栄の「蘆葉達磨図」は、簡素な衣を纏った禿髪の人物が一枚の蘆の葉に乗る姿を描いています。足元には波がたぷり、ざばんとうねり、葉の先端には水しぶきがかかっています。風に靡く衣の描写と相俟って達磨が大河を渡るその勢いを表すのでしょう。『景徳伝灯録』などの伝記資料では達磨が揚子江を渡ることについて極めて簡潔な記載にとどまるものの、南宋時代以降に多数描かれたさまざまな「蘆葉達磨図」を見ると、その図様は多種多様です。美術全集や展覧会図録、インターネットなどでたくさんの蘆葉達磨図を探して、それぞれの絵師がこの画題をどのように描いたかを比べることはとても楽しいものです。今回取り上げる祖栄の描く達磨はどのような図様でしょうか。身体を覆う衣は、筆に濃い墨をつけて太い線でばさばさと描き出します。大胆に描く衣に対して、顔の細部描写はたいへん繊細です。目元には淡い墨で陰影を付け、口元、眼、耳輪などを濃い墨で表して、眉やひげや髪は淡い墨で地を整えたうえで濃い墨で毛の流れを描き出します[図2]。風に靡く衣は大胆に、眼鼻やひげなどの顔貌は繊細に、対象に応じて墨の濃淡を調整して描き分けているのです。
 達磨の背中側、上方に立ち上がる蘆の葉の片端に重なるようにして画家の印章が捺されます。色材を用いずに水と墨のみで描き出された達磨の絵に、鮮やかな朱色が映えます。印面には「祖栄」とあり、この絵を描いたのが祖栄なる絵師であることが明らかとなります[図3]。祖栄は画家の伝記を集成した『画工便覧』や『古画備考』などに拠ると、狩野元信や雪村の絵に似るがその詳細は不明とされる絵師です。同様の印を捺す祖栄の作例に「白鷺図」(正木美術館)や「柳鷺図」(東京国立博物館)などがあって祖栄は鷺の名手として知られる画家ですが、本図は祖栄にしては珍しい人物画です。祖栄が描いた人物画はほかに「潘閬図」(根津美術館)が知られるくらいで、ひとりの人物を大きく描く本図の表現は、伝歴未詳の画家祖栄の表現技法を考えるうえで重要です。

絵の大きさ
 この絵を展示するとき、箱から掛軸を取り出して、紐を解いて壁に掛け、そろそろと軸を下ろすと、まもなく達磨がぎょろりと顔を現します。この段になって、「こんなに小さい絵だったか」と驚くことがよくあります。細部まで丁寧に描かれた本図をデジタル画像で眺めているとずいぶん立派な大きさの絵とつい思い込んでしまいますが、それは勘違いで、実は縦45.5、横25.1㎝の小ぶりな絵です。
 そもそも軸装された絵画は、どこかに掛けて、儀礼で用いるか個人で楽しむかなどして掛け終われば箱にしまい保管されるものです。そのどこかは寺院の仏殿など大きな建物のこともあれば書院など小さな場所のこともあって、絵の大きさはその絵がもともとどんな場所のために描かれたのか、そしてどんな人物が享受したのかを考える手がかりを与えてくれます。
 大幅の風格を備えた小さな達磨の絵を見て、どんな場所に掛けて誰がこの絵を見たのだろう、あるいは、達磨といえば雪遊びの思い出か選挙速報のテレビを連想するなぁなどと思いを巡らせながら、春めく日々のひとときを過ごしていただければ幸いです。(橋本 遼太・当館学芸員)

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