|
永禄2年(1559)12月、父氏康から家督を譲られたが、実際は依然として氏康が実権を握っていた。当主の印である虎朱印を、氏政が単独で用いたのは同9年の春で、この頃、実質的な権力移譲があったとみられる。氏政の代には関東の反北条勢力との対抗に加え、天正6年(1578)、上杉謙信の死去により景虎(氏政弟)と景勝の両養子が家督を争ったが、その際、北条氏と同盟中の武田勝頼は景勝に有利となる行動をとったため、景虎は敗死し、相甲間の関係が悪化。同8年3月頃、その局面の打開のため織田信長に氏直と信長の娘との婚儀を要請した。これに関連して、同年8月、氏政は隠居し家督を氏直に譲った。
|