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真葛焼窯場跡略地図 |
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ちょうどこの時期、19世紀の後半は、博覧会の時代でもあった。日本政府も積極的に万国博覧会に参加し、
また国内向けにも内国勧業博覧会を開催して、殖産興業の推進を図った。
宮川香山も博覧会に毎年のように出品、受賞し、その名は瞬く間に世界に広がった。
その主なものとしては、明治9年のフィラデルフィア万国博覧会での銅牌受賞、
明治10年第一回内国勧業博覧会での竜紋賞牌受賞、明治11年パリ万国博覧会での金牌受賞、
明治12年シドニー万国博覧会で特絶一等賞受賞、と枚挙にいとまがない。
この頃の万国博覧会では、陶磁器をはじめとした日本出品の工芸品がたいへんな好評を博し、
各国でのジャポニスムブームのきっかけをつくっていた。
その頃の香山の作品は、極めてリアリスティックな動物や植物の彫刻を壺や花器などと合体させた、
装飾的な作風で衆目を驚かせ、マクズウェアの名は世界に広がったのである。工房も職人を数十名抱え、
ショールームまで備えた大規模なものになっていったようだ。
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