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銅版画「横浜諸会社諸商店之図 真葛香山」 |
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初代香山は明治21年に家督を息子の半之助〔安政6年〜昭和15年〕に譲るが、なお制作活動は活発であった。
初期作品のような細密彫刻的な作風は、運搬に向かないなどの理由であらたな展開をむかえた。
欧米の動向に刺激を受け、香山はこの時期釉薬の研究に没頭したといわれる。
釉下彩磁や結晶釉、また中国清朝の磁器に倣ったさまざまな作品が数多くつくられる。
真葛焼は果敢にも様々な様式を取り入れ、その作風の幅を広げてゆくのである。
この時期の研究成果が真葛焼の繁栄を支えたともいえるだろう。
また香山は、これまでの活躍から、明治29年には帝室技芸員となる。
明治31年には日本美術院正員となり、また博覧会の審査員や美術団体の代表として名を連ねるなど、
文字通り日本を代表する陶芸家としての地位を確立していった。
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