 |
二代香山作品 「伊賀意海老付花瓶」 |
大正5年に初代香山が75歳で亡くなると、息子の半之助が真葛焼を引き継ぎ、二代香山を名乗るようになった。
半之助は早くから初代香山のもとで制作に従事しており、確かな技術を培っていた。
また海外の博覧会に際しては渡航し、直接欧米の製陶技術や動向を見聞きするなどの経験を積んだ人物である。
また一方でこの頃の真葛焼には、宮川家のルーツを伝えるような京焼風の茶器・置物・香炉・香合などが目に付くようになる。
国内向けに茶席で必要とされる様々な器類を焼いている。
さらに中国写しでも、祥瑞風や、呉須赤絵、青磁などの作品を得意とした。
初代の奔放な作風に較べると、二代目は穏やかで気品溢れる作風といえるだろう。
 |
昭和七年 庚坂石塔に 「宮川香山」の名が残る |
二代香山も陶芸界では中心的な人物として、昭和2年に東陶会を結成してその顧問となるなどの活躍を見せている。
また伊賀へ赴き、古伊賀復興の事業に携わり、その成果として古伊賀写しの作品も多い。昭和に入ると、真葛焼はさらに展開し、
生活に必要な器具なども見られるようになる。
記念の湯飲みや干支の置物など、身近なやきものも数多く見受けられ、今も横浜に古くから住む家庭には真葛焼の作品が残っている。
昭和15年に二代香山がなくなると、三代目は息子の葛之輔〔明治14年〜昭和20年〕が継ぐことになるが、
戦時下のことで、華々しい活躍はできなかったようだ。
|