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【火炎土器だけじゃない!選りすぐりの縄文土器が見られます。】「縄文土器」と聞いて、火炎土器を思い浮かべる方は多いでしょう。
まさに燃え上がる炎のような形や、すき間なく模様が描かれた緊張感など、すばらしい造形です。
しかし、縄文土器にはそれ以外にも優れた造形がたくさんあります。その中でも、縄文時代中期の「勝坂(かっさか)式土器」と呼ばれている土器は、立体的な意匠表現や独特な表情をもった人体表現など、火炎土器とは異なった特徴をもっています。
また勝坂式土器は形も多様です。筒のようなものから平たいもの、台がついたもの、大小もさまざまです。
勝坂縄文展では、勝坂式土器を中心に、縄文土器の多様な表情をご覧いただくことができます。(もちろん火炎土器もご覧いただけます!)

これは、なんだ!?

  【日本最大級の土偶(?)の頭が見られます。】最近、縄文時代の土偶をテーマにした展覧会が多く開催されています。
実は、かながわにも日本に誇る縄文時代の「顔」がありました。
横浜市栄区公田町から出土したこの「顔」は、現存する部分で、高さ17.7cmもあり、日本最大級と言っていいでしょう。大きいだけでなく、後頭部を中心に細かな模様も描かれた優品です。
さらになんと言っても、この表情! 整った顔立ちでありながら、どこかかわいらしく、愛嬌のある顔立ちです。
この「顔」が土偶なのか、あるいは他のものなのか、よくわかっていません。ぜひこの不思議でかわいい「顔」に会いに来てください。

これは、なんだ!?

  【「なりきり!岡本太郎」できます。】縄文土器が「芸術」として鑑賞されるようになったのは、1951年に芸術家の岡本太郎さんが縄文土器に出会ったことがきっかけです。
それまでは、縄文土器は芸術以前の気味の悪い物体と思われていましたが、太郎さんはその立体的な表現や空間処理に感動し、日本列島における芸術の根源だと主張しました。太郎さんは縄文土器の写真を多く撮り、いつしか周囲の人々も縄文土器は芸術だと考えるようになったのです。
勝坂縄文展では、太郎さんの撮影した写真と、その被写体となった土器を合わせて展示します。太郎さんが縄文土器のどこを見ていたのか、太郎さんの視点を追体験してみましょう。

これは、なんだ!?

  【「縄文人だって僕らと同じ人間だ」って思えます。】縄文土器を作っていた人たち-縄文人-も、現代人と同じホモサピエンスです。極端に言ってしまえば、生まれた時代が違っただけと言ってしまってもいいかもしれません。
現代人が字のきれいな人ばかりでないように、縄文人にも土器づくりの得意な人、そうでない人はもちろんいます。ちょっとした失敗をなんとなくごまかしたりだってします。
なんだか、僕らと大して変わっていないような感じがしてきませんか?

これは、なんだ!?

  【山内清男が設定した勝坂式標式資料を展示します(日本初!)】縄文土器は、器形、模様、模様の構造などから様々に分類され、それが縄文時代の時空間を語る際の大事なスケールになっています。研究者は分類された土器群を「型式」として把握し、それを大きな軸として遺跡から発見されるさまざまな現象の時期を決定し、議論をします。
その一つである「勝坂式土器」は1940年に山内清男氏により設定され写真が示されました。しかし、その基準となった資料は、戦後の混乱もあいまって、いつしか写真の中だけの存在となってしまっていました。
勝坂縄文展では、その基準となった資料を可能な限り探し出し、展示することを目指しました。その結果、山内氏に示された15個体のうち10個体の現存を確認し、6点を展示することが実現しました。これらの資料が勝坂式土器の基準資料として公開されるのは今回が初めてのこととなります。

これは、なんだ!?