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「キングの塔」誕生!

かながわの近代化遺産を見に行ってみよう!

神奈川県立歴史博物館周辺の近代化遺産、近代建築

神奈川県立歴史博物館周辺の近代化遺産、近代建築

旧横浜正金銀行本店本館 旧三井物産横浜支店 旧新港埠頭煉瓦二号倉庫
1. 旧横浜正金銀行本店本館 2. 旧三井物産横浜支店 3. 旧新港埠頭煉瓦二号倉庫
 1904(明治37)年7月竣工。明治建築界の3巨頭のひとりである妻木頼黄の代表作。コリント式の大オーダーと巨大なドームが特徴のネオ・バロック様式の銀行建築である。関東大震災では、1階から3階までの内装とドームを焼失した。
 1967(昭和42)年より神奈川県立博物館となり、1995(平成7)年に県立歴史博物館へとリニューアルされた。
 1911(明治44)年8月(2号ビルは1927年)竣工。左半分が1号ビルで、鉄筋コンクリート建築の先駆者・遠藤於菟による日本初の全鉄筋コンクリート造オフィスビルである。中央の連結部と右半分の2号ビルは後年の増築。外壁には白色の化粧煉瓦タイルが使われる。古典主義様式建築の骨格を備えつつもクラシックな意匠は控えめで、シンプルな外観を構成している。
 現在も現役のオフィスビルとして使用されており、建物の裏手にはほぼ同時期に竣工した旧三井物産横浜支店倉庫も現存する。
 1911(明治44)年5月竣工。横浜正金銀行本店を手がけた妻木頼黄が部長を務める、大蔵省臨時建築部設計による全長150mの日本を代表する煉瓦造建築。正金本店同様、煉瓦の壁や床には補強用の鉄材が使用されている。
 通関手続き前の輸入品を保管する保税倉庫であったが、現在は横浜市が所有し、2002(平成14)年より商業施設として活用されている。なお、並んで建つ1号倉庫(横浜赤レンガ倉庫1号館、1913年)は、関東大震災で一部が倒壊し、現在の規模となった。
旧開港記念横浜会館 旧露亜銀行横浜支店 旧川崎銀行横浜支店
5. 旧開港記念横浜会館 6. 旧露亜銀行横浜支店 7. 旧川崎銀行横浜支店
 1917(大正6)年6月竣工。「ジャックの塔」と称される横浜を代表する建物のひとつである。横浜開港50周年記念に計画された公会堂で、福田重義のコンペ1等当選案をもとに、山田七五郎が率いる横浜市営繕組織が実施設計した。赤煉瓦の壁面に花崗岩を縦横に配した、フリークラシック・スタイル(明治建築界の3巨頭のひとりである辰野金吾が多用した意匠で「辰野式」とも通称される)の華麗な外観を構成する。
 関東大震災で焼失した屋根・ドームは、市制施行100周年の1989(平成元)年に復元された。現在は横浜市開港記念会館。
 1921(大正10)年竣工。戦前の横浜に建てられた外資系銀行建築の唯一の遺構。中央部2・3階に立つイオニア式の大オーダー、玄関と両端2階の窓の三角ペディメントなど古典主義の意匠が色濃く、かつ大きく表現されており、バロック的傾向を強調した外観を構成している。構造は煉瓦造と鉄筋コンクリート造が混在しており、前者から後者への移行過程を示す貴重な実例でもある。
 現在進行中の再開発事業により、文化・観光資源として保存・活用予定である。
 1922(大正11)年竣工。横浜出身で妻木頼黄に師事した建築家・矢部又吉の作品。矢部は川崎財閥の顧問建築家として、川崎銀行本店・川崎第百銀行横浜支店など、多くの川崎系銀行の設計を手がけている。外観は1階が粗いルスティカ積で、窓の占める面積が大きく、窓廻りの装飾も豊かである。
 1989(平成元)年に、馬車道に面した正面の外壁のほぼ全面と側面の一部を保存するかたちで、高層ビル(日本興亜馬車道ビル)に建て替えられた。横浜市認定歴史的建造物第1号。
旧中沢邸 旧内田家住宅 横浜ユナイテッドクラブ
8. 旧中沢邸 9. 旧内田家住宅 11. 横浜ユナイテッドクラブ
(現存せず)
 1909(明治42)年竣工。横浜・山手に遺る貴重な明治期の住宅建築。当初は本牧の和風住宅に付属する来客用の洋館部分として建てられ、現在地は2度目の移築先にあたる。垂直な仕上げ面を見せるドイツ下見板張りの木造で、四方に破風を見せる屋根と、破風を支える妻飾りに2連のアーチ窓など、頭部の飾りが特に華やかである。
 現在はレストランの敷地内で資料館(山手資料館)として公開されている。
 1910(明治43)年竣工。ニューヨーク総領事・トルコ大使などを務めた外交官・内田定槌の邸宅として建てられた大規模な洋館。立教学校(現立教大学)校長も務めた宣教師で建築家のJ・M・ガーディナーが設計した。八角形の塔屋を持つ木造2階建で、外壁は下見板張りに1階には張り出し窓(ベイウィンドウ)が付き、屋根はスレート瓦葺きとなっている。
 東京都渋谷区から1997(平成9)年に横浜山手のイタリア山庭園に移築された。
 1900(明治33)年2月竣工。工部大学校造家学科(現東京大学工学部建築学科)の教師として辰野金吾らを育て、日本の建築学の基礎を築いたイギリス人ジョサイア・コンドルの作品。海岸通に面した山下町乙5番(現神奈川県立県民ホール所在地)にあった煉瓦造の建築である。煉瓦の壁面の要所に石材を用いたデザインで、1階にはバルコニーを配している。コンドルの作品の中では大規模な部類に属する。
 関東大震災で倒壊したため現存しない。
画像は建築家・岡義男氏による彩色立面図。
横浜市役所 神奈川県庁舎(三代目) 新港埠頭右突堤中央事務所
12. 横浜市役所
(現存せず)
13. 神奈川県庁舎(三代目)
(現存せず)
14. 新港埠頭右突堤中央事務所
(基礎部分のみ現存)
 1911(明治44)年6月竣工。2代目の市役所として建てられた煉瓦造の建物。外観は煉瓦に湯河原産の安山岩(白丁場石)と茨城県産の花崗岩を配した「辰野式」の意匠で、スレート葺きの屋根の中央部分には尖塔飾りが付けられていた。横浜正金銀行本店などと同様、煉瓦壁中に鉄材を使用した耐震補強を施し、床も鋼材と波形鉄板を用いた防火床構造であった。
 関東大震災で内部を焼失し取り壊された。
画像は1913(大正2)年の写真。当館蔵。
 1913(大正2)年6月竣工。辰野金吾・妻木頼黄と並び明治建築界の3巨頭の一角を占める片山東熊の作品。フランス風の壮麗なバロック様式の三代目県庁舎で、外観は煉瓦と腰壁には岡山県北木島産花崗岩、その他の壁石には伊豆の月出石が使われ、正面には和風の車寄せと2~3階部分にイオニア式の円柱が配される。屋根は大振りに造られ、中央部の大屋根の上には尖塔も乗っている。
 関東大震災では倒壊は免れたものの、内部は全焼し取り壊された。
画像は1913(大正2)年の写真。当館蔵。
 1914(大正3)年竣工。新港埠頭の造成など横浜税関拡張工事の一環として、妻木頼黄が率いる大蔵省臨時建築部が設計した事務所建築。敷地の形状に伴い、建物も三角形の平面構成であった。横浜正金銀行本店や隣接する新港埠頭煉瓦2号倉庫と同様、壁には鉄材を使用した耐震補強が施されていた。
 関東大震災で内部を焼失すると建物は撤去され、現在は赤レンガパーク整備に際して発見された基礎部分のみが残存し、緑地として整備されている。
旧生糸検査所 横浜指路教会 ホテルニューグランド本館
15. 旧生糸検査所 16. 横浜指路教会 17. ホテルニューグランド本館
 1926(大正15)年2月竣工。戦前最大の輸出品であった生糸の検査を行う国の重要機関の建物。三井物産横浜支店を設計した遠藤於菟の晩年の作品で、創建時は竣工写真にあるように片翼のみが張り出した外観であったが、1931(昭和6)年に増築され、当初計画どおりの両翼を持つH型の平面となった。
 当初の建物はいったん取り壊されたのち、1993(平成5)年に新たに建設された国の合同庁舎(横浜第2合同庁舎)の低層部として外観復元された。
 1926(大正15)年10月竣工。ヘボン式ローマ字表記法の考案者としても知られる、アメリカ人宣教医J・C・ヘボンゆかりのプロテスタント教会堂。竹中工務店が設計・施工した建物で、設計は同店の石川純一郎が担当した。鐘塔は向かって左だけに設けられる左右非対称で、正面には尖頭アーチを重ね、それを柱形の装飾が支えている。
 1989(平成元)年に行われた改修工事により、戦災で焼失した内装も創建当初に近いかたちで再生された。
 1927(昭和2)年11月竣工。横浜を代表するホテル建築。旧東京帝室博物館本館(現東京国立博物館本館)などを設計した渡辺仁の作品。外観は1階を基礎として扱い、2階をメインに3~4階の客室階へとつなげる3層構造の古典主義的手法であるが、造形的には当時流行の先端であったアール・デコ様式でまとめられている。丸みを帯びたコーナーには竣工年を刻んだ浮彫が付く。
神奈川県庁舎 旧第一銀行横浜支店 旧横浜商工奨励館
18. 神奈川県庁舎 19. 旧第一銀行横浜支店 20. 旧横浜商工奨励館
 1928(昭和3)年10月竣工。関東大震災で全焼した三代目の跡地に建てられた「キングの塔」を持つ四代目の県庁舎。本展覧会のメインテーマでもある。
 設計図案を公募し、一等当選の小尾嘉郎案をもとに県庁舎建築事務所が実施設計を行った。古典主義のベースを継承しつつも、細部には独自の幾何学的な装飾が用いられ、表面に溝を刻んだスクラッチタイル張りの外壁も含め、アール・デコなど新たな建築表現を感じさせる。以後流行する和風意匠を用いた「帝冠様式」建築の先駆的事例である。
 1929(昭和4)年3月竣工。第一銀行建築課長を務め、同行熊本支店・函館支店や本店(1930年、現存せず)などを手がけた銀行建築のスペシャリスト・西村好時の作品。半円形のコーナー部分が外観の最大の特徴で、その2~3階部分は4本のトスカナ式円柱が支える吹き抜けのバルコニーとなっている。
 バルコニー部分のみを保存・曳家し、その他の部分は復元して、現在は高層ビルの低層部となり、芸術文化施設(ヨコハマ・クリエイティブシティ・センター)として利用されている。
 1929(昭和4)年4月竣工。横浜市建築課が手がけた震災復興建築の代表格。商工品陳列場と横浜商業会議所など各種商工業団体の事務所として使用された。1階は石張りで玄関廻りは茨城県稲田産花崗岩、その他は伊豆の新小松石が使われ、2~4階は擬石仕上げとなっており、古典主義のスタイルに則りつつ、当時流行したアール・デコの影響も見られる。
 2000(平成12)年に横浜情報文化センターが新築される際、その低層部として部分保存された。
旧安田銀行横浜支店 旧横浜地方裁判所 旧三井銀行横浜支店
21. 旧安田銀行横浜支店 22. 旧横浜地方裁判所 23. 旧三井銀行横浜支店
 1929(昭和4)年10月竣工。安田銀行営繕課が大正末から昭和10年代に同様の建築形態で建てた一連の支店建築群のひとつ。粗いルスティカ積みの壁面と入口周囲に配されたトスカナ式大オーダーの円柱に、柱間2階部分にはアーチ窓が設けられる。同行旧小樽支店のルスティカ積みは腰壁のみであるという違いもあるが、その外観は大変よく似ている。戦後に南側へ増築されている。
 現在は大学院(東京藝術大学大学院)の校舎として利用されている。
 1929(昭和4)年12月竣工。関東大震災で倒壊した旧裁判所(辰野金吾設計)に代わり建てられた官庁建築。中央部には花崗岩張りの車寄せと両端には袖壁が設けられる。平面が2つの中庭を有する日の字型で、外壁にスクラッチタイルが用いられている点は神奈川県庁と共通する。
 旧建物はいったん取り壊され、2001(平成13)年に新庁舎の低層部分に外観復元された。
 1931(昭和6)年3月竣工。現在も現役の銀行として使用されている横浜で唯一の戦前期の銀行建築。三井本館を設計したアメリカのトローブリッジ&リヴィングストン建築事務所の作品。外観は裏面と屋上階を除きすべて茨城県稲田産花崗岩が使われ、正面には4本のイオニア式円柱の大オーダーが並ぶ。
 営業室はカウンターが改修されているものの、コリント式の柱頭飾りを持つ柱が立ち上がり、天井装飾も含めて創建時の内装がよく保存されている。
旧越前屋百貨店 旧横浜英国総領事館 横浜海岸教会
24. 旧越前屋百貨店 25. 旧横浜英国総領事館 27. 横浜海岸教会
 1931(昭和6)年4月竣工。旧野沢屋呉服店と並ぶ、戦前の横浜のデパート建築の希少な残存例。正面には3階から立ち上がる6本のコリント式大オーダーの柱形が並び、柱身上部にはレリーフも見られる。古典主義にのっとったオーソドックスなデザインとなっており、アール・デコの野沢屋と対照をなしている。
 百貨店の名称は、越前屋百貨店→山越→鶴屋→寿百貨店→松屋横浜支店→横浜松坂屋西館と変遷し、現在は賃貸ビルとして使用されている。
 1931(昭和6)年竣工。日米和親条約が結ばれた「玉楠の木」の背後に建つ。正面玄関廻りは、2本のコリント式円柱が立ち半円形のヴォールト天井を支え、三連窓や弓形の一部が切れたブロークンペディメント(破風)などで装飾性豊かに表現されているが、全体としてはイギリス風の堅実な造りとなっている。ペディメントには、かつて英国王室の紋章が飾られていた。
 領事館の閉鎖後横浜市が取得し、1981(昭和56)年から資料館(横浜開港資料館旧館)として活用されている。
 1933(昭和8)年3月竣工。日本人が組織した最初のプロテスタント教会を前身に持つ歴史ある教会の建物。2つの会堂が震災で倒壊したため、信者の寄付などで復興した。横浜在住の宮内省技師で、クリスチャンでもあった雪野元吉の設計。窓は三葉形アーチの細長い窓で、鐘塔上部にはたくさんの持送りがついた屋根の庇と塔の庇が短い間隔で並ぶ個性的なデザインである。鐘塔には、震災と金属供出を乗り越えた1875(明治8)年の鋳造銘があるチャーチベルが現存する。
横浜税関本関庁舎 旧川崎第百銀行横浜支店 旧野沢屋呉服店
28. 横浜税関本関庁舎 29. 旧川崎第百銀行横浜支店 30. 旧野沢屋呉服店
(現存せず)
 1934(昭和9)年3月竣工。「クイーンの塔」として有名な、神奈川運上所から数えて5代目の税関庁舎。関東大震災で焼失した煉瓦造の4代目に代わる庁舎として建設された。外壁は白色タイル張りで、軒にはモルタル製の装飾が並び、塔屋にはイスラム風のドームをいただく。塔屋は県庁より高い51.5mであるが、県庁より低かった当初案を当時の税関長の意向で設計変更したと言われる。
 2003(平成15)年に旧建物の3方向を保存改修しつつ増築が行われた。
 1934(昭和9)年5月竣工。旧川崎銀行横浜支店と同様、横浜出身の建築家・矢部又吉の作品で、矢部が手がけた一連の川崎財閥系の銀行建築のひとつ。イオニア式円柱の大オーダーを持ち、その円柱に挟まれて大きな窓が配置される。
 現在は高層マンションの低層部に、当初の石材を一部使用してその外観が復元されている。その際、解体された営業室の装飾部材も一部が保存されることとなった。
 1934(昭和9)年9月竣工(当初建物は1921(大正10)年1月、1929(昭和4)・34・37年ほか増築)。外壁の全面を覆う白色のテラコッタタイルと、正面上部などに見られるさまざまなデザインのテラコッタ装飾が最大の特徴のデパート建築。当初建物は1921年竣工だが、現在の外観が登場した34年を含み、5度の大規模な増築を経験している。アール・デコ様式でまとめられた戦前の一連の増築は、東海地方で多くの建築を手がけた鈴木禎次の晩年の大作。
 2010年に解体され、跡地には新たな商業施設が建設されている。
旧横浜銀行集会所 横浜郵船ビル 旧ラフィン邸
31. 旧横浜銀行集会所 32. 横浜郵船ビル 33. 旧ラフィン邸
 1936(昭和11)年7月竣工。国会議事堂建設に深く関わった大熊喜邦とその娘婿で横浜高等工業学校教授の林豪蔵による合作。石造を模した外壁に3階分を通して立つ7本の柱形と要所に張られたテラコッタなど、クラシックをシンプルかつ軽快に表現しており、こうした外観と内部の意匠・調度品から、当時世界的に流行したアール・デコの特徴を見て取ることができる。
 1965年に4階が増築されたが、既存の建物は内外とも創建時の姿をよくとどめている。現在は横浜銀行協会。
 1936(昭和11)年10月竣工。横浜における古典主義建築の最晩期の作品。正面に16本のコリント式円柱の大オーダーが並び、それがこの建物の最大の特徴となっている。東京美術学校出身の建築家・和田順顕の設計で、外観や営業室は古典主義の意匠でまとめられているが、階段室にはアール・デコ風のデザインも採り入れられている。
 長く日本郵船横浜支店として使われたのち、2003(平成15)年に1階部分を改修して、現在は博物館(日本郵船歴史博物館)として活用されている。
 1926(大正15)年竣工。旧根岸競馬場一等馬見所や横浜山手聖公会などを設計したアメリカ人建築家J・H・モーガンによる初期の住宅建築で、彼の代表作のひとつ。オレンジ色の屋根に3連アーチの玄関部分(屋根のない藤棚形式)を持つスパニッシュ・スタイルの邸宅である。また、正面両端には曲線を描く破風を用いている。
 横浜市が建物・敷地を取得し、保存改修工事を実施した後の1999(平成11)年から山手111番館として一般公開されている。
旧カトリック山手教会司祭館 旧ベリック邸 横浜山手聖公会
34. 旧カトリック山手教会司祭館 36. 旧ベリック邸 37. 横浜山手聖公会
 大正末期竣工。関東大震災前の外国人住宅の面影を残す住宅建築。フランス瓦を用いた寄棟屋根に張り出し窓(ベイウィンドウ)を持ち、壁面はモルタル吹き付け仕上げとしている。屋根がオレンジ色、壁面は白色で、胴廻りや窓廻りと鎧戸の緑色がアクセントとなっている。震災前に同地に立っていた建物の部材を使用して、震災後に再建された建物である。
 現在はイタリア山庭園内に移築され、ブラフ18番館として一般公開されている。
 1930(昭和5)年竣工。横浜・山手に遺るJ・H・モーガンの作品群のひとつで、旧ラフィン邸と並ぶモーガンの住宅建築の代表作。戦前の外国人住宅の中では最大規模で、かつ内容も充実している。外観はスパニッシュ様式を基調にしており、3連アーチの玄関部に緩やかな勾配のオレンジ色の瓦屋根、四葉と方形を組み合わせたガラス窓、瓦屋根付きの煙突などでにぎやかに飾られている。
 現在は横浜市が所有し、ベーリック・ホールとして建物・庭園を一般公開している。
 1931(昭和6)年5月竣工。1863(文久3)年創立のプロテスタント教会堂の後身の建物で、関東大震災で倒壊したJ・コンドル設計の煉瓦造教会堂の再建。旧ベリック邸・旧チャータード銀行神戸支店などと同様、J・H・モーガンの設計。鉄筋コンクリート造であるが、外壁には大谷石を張り石造風とし、イギリス中世の城砦風の正面鐘塔も含め、重厚な外観を構成している。
 戦災と2005(平成17)年の火災で内部を焼失したが、その都度復興を遂げている。
横浜共立学園本校舎 カトリック山手教会聖堂 旧英国総領事公邸
38. 横浜共立学園本校舎 39. カトリック山手教会聖堂 40. 旧英国総領事公邸
 1931(昭和6)年竣工。1871(明治4)年設立の「亜米利加婦人教授所」を前身とするミッションスクールの校舎。滋賀県近江八幡を拠点に、多くのミッションスクールや教会建築などを手がけたアメリカ人建築家W・M・ヴォーリズ設計による大規模な木造校舎建築である。左右対称の正面中央部に切妻の3階が乗り、モルタル塗りの壁面に2~3階部分は柱や梁を露出させたハーフティンバー・スタイルを採っている。  1933(昭和8)年11月竣工。1862(文久2)年献堂の横浜で初めての教会堂「横浜天主堂」の後身にあたる教会堂。山手移転後に建てられた煉瓦造教会堂が関東大震災で倒壊したため、チェコ出身の建築家で、同郷のA・レーモンドと共同で活動したことがあるJ・J・スワガーが設計した。ゴシック様式の建物で、ステンドグラスがはめられた正面の窓のほか、側面や内部にも尖頭アーチが用いられている。背が高くとがった屋根を持つ鐘塔は、山手のランドマークである。  1937(昭和12)年竣工。大英帝国の風格を示すように広大な敷地に建つ大規模な公邸建築。1階西側に張り出したサンルームを除けば左右対称の建物で、1階中央部には張り出し窓があり、その2階部分はバルコニーとなっている。2階の両端に丸窓が設けられているが、それ以外は直線的でシンプルにまとめられている。
 1969(昭和44)年に横浜市が取得し、横浜市イギリス館としてホール・集会室・展示室などに利用されている。