展覧会のみどころ

没後100年五姓田義松—最後の天才—のココがスゴい!

展覧会構成

義松の直筆による書簡や家計簿、販売記録などから、謎多きその生涯に迫ります。特に幕末明治を生き抜いた画家の文字資料はこれほどまとまって公開されること、そして作品とつながる歴史の綾は必見です。

プロローグ


第1章 鉛筆画・水彩画 描く対象を正確にとらえ、素早く描きとるその技術的な冴えは、義松の鉛筆画や水彩画に顕著にあらわれます。若々しくダイナミックな鉛筆の線、瑞々しい大気をとらえる水彩画の筆をご堪能ください。

第1章


第2章 油彩画 今日でも「洋画」といえば油彩画のことを連想する方が多いように、江戸時代まで見たことのなかったその技術を多くの人が望みました。そのいち早い達成を示し、また西洋へと挑戦した義松の真骨頂が本展で示されます。

第2章


第3章 家族/自画像 義松にとって家族、そして弟子たちは最も身近な存在であり、描く対象でもありました。注文制作ではないそれらには、明治初頭の青年画家たちの日常が活写されています。新技術に邁進したその姿に注目してください。
義松はその修行期に数多くの自画像を描き残しています。自らの姿を描くことは技術的な鍛錬であると同時に、自己の内面をみつめることでもありました。時代に翻弄されたその姿を、見つめ直してください。

第3章

五姓田義松 略年譜

  • 1855 年 (0歳)  江戸に生まれる
  • 1865 年(10歳)  年末頃、横浜のワーグマンに入門
  • 1877 年(22歳)  第1回内国勧業博覧会で最高賞受賞
  • 1878 年(23歳)  孝明天皇肖像を制作、北陸東海御巡幸に供奉
  • 1879 年(24歳)  昭憲皇太后肖像を制作
  • 1880 年(25歳)  横浜からフランスに向けて出航、日本人として初めてサロン入選
  • 1889 年(34歳)  イギリス、アメリカを経由して帰国
  • 1890 年(35歳)  父とともに渡米
  • 1891 年(36歳)  第1回帝国議会に陪席
  • 1892 年(37歳)  宮内省からの依頼制作
  • 1902 年(47歳)  予約画会設立。原敬ら参加
  • 1907 年(52歳)  第1回文部省美術展に出品
  • 1908 年(53歳)  この年以後、東京美術学校(現、東京藝術大学)に作品を売却
  • 1915 年(60歳)  横浜で没する