館長の馬車道日記

さまざまな展覧会を観て回りました!

6月も早いものでもうすぐ晦日、令和7年も半年が過ぎようとしています。

各地で開催されていた春の展覧会も、今月で終了したところが多かったです。いつものことですが出かけようと思っていると、いつのまにか最終日近くとなり、慌てて数館の展覧会を観て回りました。幸いにも現在工事休館中ということもあり、土日が休みなので時間的には多少余裕がありました。そこで今回は、そのなかでいくつか印象に残った展覧会を紹介します。

最初は、国立科学博物館で開催していた「古代DNA-日本人のきた道-」展です。近年、出土した人骨から検出したDNAを最新の機器を利用することで、多くの情報量を有する核ゲノム解析が可能となりました。これにより明らかにされた古代人の実像に迫ったのが本展です。その展示の中に三浦半島先端の洞窟遺跡を紹介するコーナーもあり、2年前に当館で開催した「洞窟遺跡を掘る」展を思い出しつつ、今後新たな切り口でも洞窟遺跡を紹介できるのではないかと思いました。

次に観覧したのは、サントリー美術館で開催していた「酒呑童子ビギンズ」です。今回修復が終わり展示されたサントリー本「酒伝童子絵巻」(重要文化財)は、小田原北条氏の二代当主氏綱の依頼により制作され、絵を狩野元信が描き、五代当主氏直の代まで小田原にあったことがわかる、神奈川ゆかりの絵巻であるともいえます。また同時に展示されていたドイツのライプツィヒ・グラッシー民族博物館の「酒呑童子絵巻」ですが、その絵巻の詞書を成嶋和鼎(かずさだ) ・勝雄親子が書いていたことを知ることができ、勉強になりました。和鼎の父は奥坊主も勤めた儒者成嶋道筑で、私の研究テーマの中でも重要人物として取り上げているところです。その子孫たちが、絵巻の詞書を記していたとは、全くの勉強不足で恥じ入るばかりです。しかしなぜこの二人がと思ったのですが、十代将軍家治の養女が紀州徳川家へ嫁いだ際の婚礼品であったと知り、なるほど幕府文官であった彼らが記したことも納得した次第でした。

そして最後に紹介するのが、これは今週始まったばかりの展覧会ですが、五島美術館の「極上の仮名-王朝貴族の教養と美意識-」展です。五島美術館と書芸文化院が所蔵する平安時代の仮名の名品を一堂に展観したもので、圧巻の展覧会です。その流麗な書と料紙装飾の美しさには、誰もが目を奪われるのではないでしょうか。そしてその中に、小野道風筆『白氏文集』巻四「新楽府下」の断簡(絹地切)が展示されていました。書芸文化院が所蔵していることは知っていたのですが、まさかこの仮名の展示の中で対面できるとは夢にも思っておらず、感激のあまりその場を動けませんでした。というのも、前職の時に旧家の蔵から1点の古筆手鑑を発見し、そこに貼られた373枚の古筆切などの中に、実は小野道風の絹地切があったのです。それも調べてみると、『白氏文集』巻四「新楽府下」にある「紅線毯」という詩の断簡であり、なんと書芸文化院が所蔵する絹地切に直結するものであるだろうことが判明したのです。その時はいずれ二つの絹地切を並べて展示したいと思いつつ現在まで叶わないままでいたのですが、今回初めて実物を目の当たりにすることができ、感動しながら帰路につきました。

今回は三つの展覧会しか紹介できませんでしたが、それ以外にも興味深く鑑賞した展覧会が多くありました。

ただ反省すべきは、最終日ギリギリではなく、もっと余裕をもって出かけることであることを、今回あらためて肝に銘じたところです。

当館も無事に工事が終了し、早く皆さんに展覧会を鑑賞いただき楽しんでもらいたい思いでいっぱいです。まだ1年3ヶ月ほどありますが、再開館までしばらくお待ちください。

令和7年6月27日