
102年前の今日、関東大震災が発生し、横浜でも建物の倒壊や多くの犠牲者が出るなど甚大な被害に遭いました。当館の旧館と呼んでいる建物は、元は1904年に竣工した横浜正金銀行本店本館で、この時の震災で建物そのものは倒壊せずに残りましたが、屋上のドームと地階以外の建物内部は焼失してしまいました。しかしその後も銀行として利用され続け、戦災も免れて1967年からは神奈川県立博物館(当館の前身)として開館、失われていた屋上ドームも再建され現在に至っています。
さて先日、ある新聞を読んでいたら、戦後80年の特集として「日誌が語る 勤労学徒の日々」という記事を見つけました。記事の内容は、旧制松山中学校の『教務日誌』から生徒が勤労動員された工場や人数が明らかになったということ、また行田市郷土博物館で開催されていた展示でも『国民学校日誌』が紹介され、これら『学校日誌』には時事に関することも詳しく記録されていることから、歴史資料としても貴重であるといったものでした。
そこで思い出したのが、一昨年震災100年の際に開催した特別展「関東大震災-原点は100年前-」でした。この展示の準備をしているときに、40年来の知人である当時宮城学院女子大学教授であった大平聡氏からお手紙をいただきました。それは近年県内で廃校に直面している小学校の資料を調査している際に見つけた『学校日誌』の中に、関東大震災についての記録が散見できるというものでした。そこで特別展を担当していた武田周一郎学芸員に話したところ、早速に調査、そして所蔵先のご高配により借用、展示することができました。展示された『学校日誌』には「九月一日(土)雨 正午頃、強震、東京及近間惨害甚し」や、「九月一〇日(月)雨 東京方面罹災者救恤トシテ、児童一人ヨリ五銭以上宛募集、十四日朝迄送達ノ件、通知アリ」といった記載があり、関東での震災に関し早い段階から遠く宮城県にも情報が入り、義捐金などの対応が行われていたことを、この時初めて知ることができました。そして今回、『学校日誌』が持つ史料性について、あらためて新聞記事によって再確認することができた次第です。なお宮城県における『学校日誌』については、先の大平氏が「貧困と衛生」「御真影の奉還」「関東大震災と宮城県」など4つのテーマで論考をまとめられています。興味のある方は、是非とも掲載雑誌である『北の歴史から』第2・4・6・10号をご覧いただければと思います。(なお東北地方の歴史研究雑誌のため、近隣では国会図書館には収蔵されています)
自然災害は、いつ、どこで起きるかわかりません。日常生活はもちろんのこと、博物館も常に災害時の対応を考え、準備をしておかなければなりません。当館も今年度は9月5日に防災訓練を実施する予定です。また館長日誌で、訓練の様子も紹介できればと思います。