その後、南関東全体に本格的農耕集落が次々と出現しましたが、後期になると神奈川県域では遺跡数が激減します。しかし、三浦半島の先端にある三浦市赤坂遺跡では、海を通じた他地域との交流を背景に、大規模な集落を維持し続けました。
また綾瀬市神崎遺跡は、遺跡数が激減した時期に、現在の愛知県東部〜静岡県西部地域から訪れた入植者のムラであることがわかりました。
この展示では、かながわの弥生社会を切り拓いた、これらの3遺跡を中心に、他地域からの人びとの移住と在地の弥生社会の変化を示す遺跡や遺物を紹介し、弥生時代のかながわについて解説します。
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