鎌倉時代から室町時代(12〜16世紀)にいたる中世の天狗像はさまざまです。この時代の天狗には、いまだ滑稽で身近なイメージはなく、権威とうらはらな存在のようにも思えます。天狗を具体的に描く絵巻としては永仁四年(1296)に成立した「天狗草紙」(下図、東京国立博物館ほか所蔵)が有名ですが、この絵巻には難解な部分も多く、多くの謎解きが重ねられてきました。

それを解明する手がかりを与えてくれたのが、本展出陳の称名寺本天狗草紙絵詞(「七天狗絵」)(下図、神奈川県立金沢文庫保管)です。

この史料は近年称名寺資料群の中から見出されました。“絵”とはいうものの、絵巻から詞書(本文)と画中詞部分のみを書写した写本で、とっつきにくい作品かも知れません。しかし、そこで語られるイメージは非常に明確かつ豊かで、観る者を一気に鎌倉時代の天狗の世界へと誘います。
各冊の表紙には「興福寺・東大寺」などとあり、その外題(タイトル)部分は最初「諸寺開興」と書かれたのち「七天狗第一」などと重ね書きされています。どうやらここでいわれている“七天狗”とは興福寺、東大寺、延暦寺、園城寺、東寺、山伏、遁世(とんせい)僧らを指しているのです。タイトルの変更は当初その内容を伏せる意味があったのかも知れません。「天狗草紙」には人の執着がさまざまであることを示すために“七類の天狗を描く”としており、天狗は有力寺院僧侶の堕落を暗示しているのです。「人執」は「我執」「〓慢」「名聞」「利養」などを指し、執着、傲慢(ごうまん)さ、名誉心や安住の希求が当時の宗教者に甚だしかったことを明らかにしています。これらの妄念は人々を魔道に落とす根源と考えられており、同時代の仏教説話集である『沙石集』には妄念のために臨終後も往生できずに霊となって現れた出家者の話が存在します(第十巻)。天狗はこれら魔道に墜ちた宗教的権威として語られているのです。中世の天狗を理解する手がかりは、「人執」と「妄念」にあるようです。
※ 「〓」は、りっしんべんに喬