当館について

建物のご紹介

旧横浜正金銀行本店本館の建築

神奈川県立歴史博物館の建物のうち旧館部分は、1904年(明治37年)7月に横浜正金銀行(よこはましょうきんぎんこう)本店として建設され、重要文化財・史跡に指定されている横浜をそして日本を代表する近代建築です。明治建築界の巨頭妻木頼黄(つまきよりなか)が設計し、外壁に石材を使用した煉瓦造りで地上3階地下1階建ての建物は、コリント式の重厚な石造彫刻の柱頭飾りをもつ大オーダーと、正面に据えられた巨大なドームが特徴で、ネオ・バロック様式とされる威厳ある外観を構成しています。

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では、1階から3階までの内装と屋上のドームを焼失しました。震災後に復旧工事が行われ、戦後まで銀行として使用されていましたが、1967年(昭和42年)に建物のシンボルであるドームを復元して神奈川県立博物館となり、1995年(平成7年)からは神奈川県立歴史博物館にリニューアルして保存活用されています。

所在地 横浜市中区南仲通5-60 構造 補強煉瓦造・石造3階地下1階
設計 妻木頼黄 施工 直営工事
起工 1899年(明治32年)3月25日 竣工 1904年(明治37年)7月(8月8日新築落成式)
建坪 2156平方メートル(石塀内を含む) 延床 7972平方メートル(現況)
高さ 軒高16.5メートル、ドーム高35.7メートル 総工費 110万円
指定等 国指定重要文化財・史跡

第1営業室

本室の周囲の羽目、及び取引台下は武州秩父産蛇紋石を用い、その取引台石は 信州花崗石を用い、境界仕切棚は特に本邦美術的工手をして製作させた。

第2営業室

本室は第1営業室と異なる所はないが、金銭出納の事務を取扱う場所なので他の部屋と区画するために鉄網柵で区分した。またその一隅には水圧昇降機を設け、地階金庫とを結んだ。

保護預品庫

預け主の貴重品を保管する所で秘密を守る必要から、特に他の部屋と分けた。庫内には特殊錠前を附けた米国製の保護函数百個を備え、鍵は各自一様ではなく、そのうえ2ヶ所備え、これを同時に併用しなければ開閉することができないしくみで、預け主の要求に応じて銀行担任者の立会の上、開閉する方法をとった。

正面2階中央客室

本室は外国から来遊した顧客の用に充てるもので、旅行案内、汽車汽船 発着時間表、その他、本邦内地の風景事情がわかるように各種の図書等を備え、外国人客の便利に供することを目的とした。

婦人書柬室

本室は中央客室の左側に隣接し、主として婦人化粧室に充てることを目的とした。各種の化粧具、及び文具等を備え来賓が使用できるようにした。

会議室

本室は本館の背部に設け、ゆうに2,3百人を収容し、株主総会、または式場等に充てるものとした。

エースのドーム

神奈川県立歴史博物館では、旧横浜正金銀行本店本館のシンボルであるドームに「エースのドーム」という愛称をつけました。この愛称には、横浜三塔にあやかり、この建物により愛着を感じていただきたいという願いが込められています。
横浜三塔とは、神奈川県庁本庁舎・横浜税関本関庁舎・横浜市開港記念会館の三つの建物の高くそびえ立つ塔を総称したものです。神奈川県庁本庁舎の塔は「キングの塔」(1928年竣工、国指定重要文化財)、横浜税関本関庁舎の塔は「クイーンの塔」(1934年竣工)、横浜市開港記念会館の塔は「ジャックの塔」(1917年竣工、国指定重要文化財)とトランプの絵札になぞらえて呼ばれています。この呼び名は、横浜港に寄港する船員たちの間で自然に言い慣わされるようになったと言われています。

現在のドーム

横浜正金銀行本店は、建設当初から立派なドームをもった建物でしたが、関東大震災により建物の倒壊などはなかったものの、火災のためドームは焼け落ちたのです。
1964年(昭和39年)、神奈川県は、この建築物は明治期の横浜を代表するものであり、これを県立博物館の施設とするため、当時のドームを復元することにしました。
東京銀行横浜支店に保存されていた旧横浜正金銀行の竣工当時の写真を資料として、造形的にできるだけ正確にドームを復元しました。

ドーム復元工事写真

平面形は隅欠型八角形で、直径12m、ドーム頂部までの高さ10.05m、尖塔最高部は19.25m(いずれも屋上床面よりの高さ)で、道路面よりは約36mとなっています。
構造は鉄骨主体を屋階の鉄筋コンクリート造臥梁にアンカーし、下地はシャープな角部分を打ち出すのに適した檜材とし、その上に厚さ0.3~0.5mmの銅板を葺きました。また、窓周りその他の飾り部分は創建当時の打ち出しではなく、ブロンズ電鋳工法により復元しました。

 

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