展示
常設展
原始/古代・中世・近世・近代・現代/民俗の5つのテーマにより構成され、3階展示室から時代順に見ることができます。
- 子ども向けに楽しく常設展を見学できるワークシートをご用意しています。(現在、窓口での配布は休止しています。)
常設展のご案内
※常設展の展示物は随時入れ替えを行っています。下記で紹介している資料が展示されていない期間もありますので、ご了承ください。
【テーマ1】原始・古代「さがみの古代に生きた人びと」
海や山などの豊かな自然、温暖な気候に恵まれた神奈川県域には、古くから人々が住み、生活を営んできました。
かながわの地に初めて住みついた人々は、身の回りにある豊かな自然環境を生活の中に巧みに取り込みながら、動物の狩猟、木の実や野草の採取により生活していました。やがて土器が使用されるようになる頃には、海や川での漁撈も活発となり、東京湾、相模湾や内陸の河川では水産資源も多用されたようです。その後、大陸から稲作技術が伝わると農耕を中心とした生活へと変化します。農作業の管理、作物の貯蓄などによる特定の人物への権力集中が進む中で階級社会が生じ、地域ネットワークを統率するリーダーが誕生します。
やがて遠く西の地で古代国家が出現し律令国家体制が成立すると、かながわの地もそれに組み込まれ新たな社会変化が生じます。大陸からは仏教が伝わり、時代は中世へと流れてゆきます。
本展示室では、県域にのこされた集落址、貝塚、洞窟住居、古墳、横穴墓、寺院址など多くの遺跡からの出土品を中心に、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良時代、平安時代のかながわの様子を展示しています。
【テーマ2】中世「都市鎌倉と中世びと」
畿内や西国の平氏を追討し、東北の奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝は、1192年には朝廷から征夷大将軍に任命されました。頼朝が鎌倉に開いた幕府では武家が政権を担い、東国を拠点とした政治体制が形作られていきました。政治の中心となった鎌倉は、経済や宗教の拠点としても発展し都市としての機能を高めていきました。武家政権のもとでの社会や、都市鎌倉に生きた人々の生活を見ていきましょう。
【テーマ3】近世「近世の街道と庶民文化」
江戸時代の神奈川県域は武蔵国橘樹(たちばな)・都筑(つづき)・久良岐(くらき)と、相模国三浦・鎌倉・高座(こうざ)・大住(おおすみ)・淘綾(ゆるぎ)・足柄上・足柄下・津久井の計十二郡から成ります。幕末期の総石高は武蔵国域が十万石余、相模国域が三十一万石余でした。まとまった大名領は足柄上・下郡の小田原藩領のみで、その他の地域は、厚木市荻野に陣屋を置いた荻野山中藩領、横浜市金沢区六浦に陣屋を置いた金沢藩領(かねさわはん)を含めて、幕府領・旗本領・寺社領・大名領飛地などが混在していました。
県域は巨大な政治都市江戸の西に隣接し、海岸沿いには江戸時代最大の幹線道路東海道、北部には甲州街道が通り、要所には関所も置かれました。江戸の西の守りの要であるとともに、東西交通の要衝でもありました。また江戸の近郊で、風光明媚で名所・旧跡も多いため、江戸庶民の手頃な行楽地となっていました。こうして参勤交代等の公用旅行者から信仰・遊山の庶民の旅人まで、県域は多くの人々が行き交いました。
そして気候温暖と変化に富む自然環境に恵まれて多種多様な生産物があり、大消費地江戸への物資供給地として重要な役割を果たしました。
本展示室では街道と宿場、名所、旅、村の生活、産物をキーワードとして江戸時代の神奈川県域の歴史と文化を紹介しています。
【テーマ4】近代「横浜開港と近代化」
ここでは、日本の一大転換点となった開港前後における神奈川の近代化の諸相を紹介します。
市民革命をへて18世紀後半から急激な工業化を進めた欧米諸国は、18世紀末になるとアジアへの進出を強めました。1853(嘉永6)年、前年にその来航が予告されていた米国東インド艦隊司令長官ペリーが、最新鋭の蒸気軍艦2艘を含む艦隊を率いて来航すると、翌年幕府は通商を拒否しつつ条約を締結しました。そして1858(安政5)年米・蘭・露・英・仏国と通商条約を締結し、神奈川(横浜)をはじめとする5港が世界へ向けて開かれることになりました。
開港後の横浜は、西洋文化をいち早く取り入れる場であるとともに、日本文化を海外へ発信する場でもありました。来日外国人が洋画や写真技術を伝え、陶磁器や漆器など、日本の伝統工芸品が海外へ輸出されています。また、幕末には横浜の街や外国人を題材とした浮世絵が数多く制作され、異国情緒あふれる横浜の様子が紹介されました。さらに、戊辰戦争を経て成立した新政権は、新橋―横浜間に鉄道を開通させるなどの欧化政策を推し進め、工業国家を目指します。その一方で、民権思想に触れた者たちは、藩閥色の強い新政権への反発を強め、県下に数多くの民権結社が組織されました。
【テーマ5】現代・民俗「現代の神奈川と伝統文化」
現代の神奈川県は、関東大震災と第二次世界大戦時の空襲という二つの大きな被害を乗り越えて、今日に至っています。 昭和6年(1931)の満州事変以降、日本は戦争への道を歩みはじめ、県下には陸海軍の基地や軍需工場が数多く設置されました。昭和20年(1945)に長く苦しい戦争は終結し、代わって占領軍の進駐と接収が始まると、日本の政治経済体制は大きく変化しました。そして、昭和30年代後半から40年代にかけて日本の経済は急激な成長を遂げ、人口が増加して社会資本が整備されていく一方で、公害などの社会問題も発生しました。
都市化が進んだ農山漁村では、従来の相互扶助の変化・農地の宅地化・他所からの新住民の移住による新たな地域社会の形成など、長い暮らしの中で培われ伝えられてきた生活様式や生活用具が姿を消していきました。しかしながら、年中行事・冠婚葬祭・祭礼など「ハレ」の行事には今日でも地域ごとに伝えられている伝統的な文化が数多く残されているものもあります。
現代展示室では、関東大震災を起点として高度経済成長期に至る時代の変化と、神奈川県下の様相を紹介しています。
民俗展示室では、神奈川県の地形風土のもとに育まれた衣食住や生業などの民具(有形民俗文化財)と祭礼や信仰などの伝承(無形民俗文化財)を紹介しています。