展示

【テーマ3】近世「近世の街道と庶民文化」

常設展示 近世「近世の街道と庶民文化」

※常設展の展示物は随時入れ替えを行っています。下記で紹介している資料が展示されていない期間もありますので、ご了承ください。

江戸時代の神奈川県域は武蔵国橘樹(たちばな)都筑(つづき)久良岐(くらき)と、相模国三浦・鎌倉・高座(こうざ)大住(おおすみ)淘綾(ゆるぎ)・足柄上・足柄下・津久井の計十二郡から成ります。幕末期の総石高は武蔵国域が十万石余、相模国域が三十一万石余でした。まとまった大名領は足柄上・下郡の小田原藩領のみで、その他の地域は、厚木市荻野に陣屋を置いた荻野山中藩領、横浜市金沢区六浦に陣屋を置いた金沢藩領を含めて、幕府領・旗本領・寺社領・大名領の飛地などが混在していました。

県域は巨大な政治都市江戸の西に隣接し、海岸沿いには江戸時代最大の幹線道路であった東海道、北部には甲州街道が通り、要所には関所も置かれました。江戸の西の守りの要であるとともに、東西交通の要衝でもありました。また江戸の近郊で、風光明媚で名所・旧跡も多いため、江戸庶民の手頃な行楽地となっていました。こうして参勤交代等の公用旅行者から信仰・遊山の庶民の旅人まで、県域は多くの人々が行き交いました。

そして気候温暖と変化に富む自然環境に恵まれて多種多様な生産物があり、大消費地江戸への物資供給地として重要な役割を果たしました。

本展示室では街道と宿場、名所、旅、村の生活、産物をキーワードとして江戸時代の神奈川県域の歴史と文化を紹介しています。

展示内容

宿場と関所

県域には東海道に九宿、甲州街道に四宿の宿場がありました。宿場の重要な役割は幕府の公用書類の継ぎ送りと公用旅行者の荷物を運ぶ伝馬役を勤めることで、問屋場で宿役人がその業務を行いました。伝馬役のために東海道では百人の人足と百匹の馬が常備され、それで不足する時には助郷として近隣の村が人馬を出しました。宿泊施設は大名や公家などが泊る本陣、一般旅行者が利用する旅籠・木賃宿があり、その周辺には多くの店が集まって賑やかな町場になっていました。
県域は関東の西の出入り口にあたることから、街道・脇街道の要所には関所が置かれましたが、箱根はその中でも最重要の関所でした。

旅道具 江戸時代

「東海道分間延絵図」「甲州街道分間延絵図」は街道を1/1800の縮尺(一里の距離を七寸二分の長さに縮尺)で描いた絵地図です。距離感が正確につかめ、沿道の情報が詳細・克明に載せられており、18世紀末の街道の様子を知ることのできる好資料です。
また東海道九宿を題材とした浮世絵を展示しています。ほぼ1ヶ月毎に展示替えして、各宿場や街道の様子を順次紹介しています。関所のコーナーでは身分によって異なる通行手形に注目。

庶民信仰と名所めぐり

一般庶民でも信仰(寺社参詣)を理由にすれば比較的自由に旅に出ることができ、江戸時代中期を過ぎるころから多くの人々が寺社参詣を名目とした遊山の旅を楽しむようになりました。神奈川県域には霊地として信仰を集めていた大山や江の島、古い歴史を誇る武家の古都・鎌倉、景勝地として知られた金沢八景、効能ある湯治場箱根など、バラエティーに富む名所地が多くありました。江戸からも近く、関所を越えなくてもよいので気軽に出かけられる手頃な行楽地でした。

東海道五十三次細見図絵 保ヶ谷 部分 歌川広重(初代) 江戸時代

浮世絵や当時の出版物などによって県域の名所地を紹介しています。浮世絵はほほ一月毎に展示替えしています。旅道具コーナーでは徒歩の旅に便利なようにコンパクトに工夫された様々な旅道具に注目。

村の支配と生活

県西部は小田原藩領でまとまっていますが、その他の地域は幕府直轄領・旗本領・寺社領・大名領飛地が混在しています。なかでも旗本領が多く、これは江戸防備のために将軍直属の家臣団である旗本の所領をこの地域に集中的に配置したためです。小田原藩領や三浦郡を除き、一つの村を複数の領主が支配する相給(あいきゅう)の村が多いのも神奈川県域の大きな特徴です。領主支配は村を単位としましたが、村は村役人(名主・組頭)を中心に自治的に運営され、領主は村内部のことには原則的に介入しませんでした。年貢は個々の百姓ではなく村の連帯責任で納める村請制がとられていました。

四季耕作図 部分 複製 現品個人蔵 江戸時代

知行宛行状(ちぎょうあてがいじょう)は徳川将軍が旗本に領地を与えた文書です。将軍代替りごとに新将軍名で再交付されました。パネルでは江戸時代初期の所領構成を紹介しています。小田原藩領を除き、幕府領・旗本領・寺社領が混在している様子がわかります。村の支配のコーナーでは、年貢の基礎となる土地調査の結果を記載した検地帳、年毎の年貢納入額通知書である年貢割付状、年貢をすべて納めたことの領収書である年貢皆済目録などを展示しています。
展示されている検地帳は家康が関東移封後最初に実施した天正検地(天正18~19年)の結果を記載したものです。

相武の産物と江戸

県域の生産環境は海・川・平地・山地と多様性に富み、様々な産物がありました。江戸近郊という立地から、米穀・野菜・果物などの農産物、鰹や鮎をはじめとした様々な水産物など、生鮮食料品の供給地となりました。また薪炭・漆・石材などの山の産物、麻布や絹などの手工業品も生産され、県域は大消費地江戸の需要を支える重要な地域でした。

東都名所日本橋真景并魚市場全図 部分 歌川広重(初代) 江戸時代

パネルで県域の産物を紹介しています。県西の蜜柑や川崎北部の梨や柿、海浜部の鰹やヒラメなど、現在につながる産物がある一方、多摩川河口付近や二宮町梅沢付近で製塩がおこなわれていたことなど、意外なことにも気づきます。

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