展示

調査する行員たち―横浜正金銀行の『調査報告』—

学芸員のおすすめ収蔵資料の魅力を詳しい解説でお伝えする「今月の逸品」。休館中はウェブサイトのみでのご紹介になります。

2026年3月の逸品

調査する行員たち―横浜正金銀行の『調査報告』—

調査する行員たち―横浜正金銀行の『調査報告』—

『調査報告第五十号 埃及経済事情(続編共ニ冊)』
1924年6月

 神奈川県立歴史博物館の旧館は、かつて横浜正金銀行本店本館でした。そのため当館では、横浜正金銀行ゆかりの資料を収集しています。
 2026年3月の逸品では、当館所蔵の横浜正金銀行ゆかりの資料群である「旧横浜正金銀行調査部図書」の中から、『調査報告第五十号 埃及経済事情(えじぷとけいざいじじょう)』[図1]をご紹介します。

調査する行員たち
 横浜正金銀行は、1880(明治13)年に開業し、1887(明治20)年発布の横浜正金銀行条例によって特殊銀行となった、外国為替・貿易金融専門の銀行です。国内外に多くの店舗を構えており、第一次世界大戦後には、香港上海銀行、チャータード銀行と並んで世界三大為替銀行とみなされました。
 為替や貿易を専門とする以上、横浜正金銀行は、国内外の様々な事情(例えば、貿易や財政、金融、商況など)に精通している必要があります。そのため、頭取席調査課(のち、調査部)をはじめとする横浜正金銀行の行員たちは、国内外の情報収集と、調査研究につとめました。『調査報告』は、頭取席調査課発行の行内用印刷物の一つで、行員による調査研究結果がまとめてあります。各行員が蓄積した情報は、冊子などを通じて銀行全体に共有され、各々が業務に活かせる仕組みとなっていたのです。

当館所蔵の『埃及経済事情』
 『調査報告第五十号 埃及経済事情』は、国立国会図書館をはじめ当館以外の所蔵も確認できます。当館所蔵の『調査報告第五十号 埃及経済事情』最大の特徴は、表紙に「(続編共ニ冊)」と書いてあるように[図1部分拡大]、続編である『続 埃及経済事情』も一緒に綴じこまれている点です。
 『埃及経済事情』(以降、『前編』)[図2]と『続 埃及経済事情』(以降、『続編』)[図3]の表紙にある蔵書印[図2部分拡大および図3部分拡大(1)]からは、2冊とも調査課が管理していたことがわかります。『続編』は手書き原稿であり、その表紙には、号数と印刷月日が空欄のまま「調査内報第 号(大正十三年 月 日印刷)」と記されています[図3部分拡大(2)]。実際に発行に至ったか不明な『続編』ですが、横浜正金銀行の調査研究成果が集まる調査課で管理されていたからこそ、今日まで残ることができたのかもしれません。

難波勝治と埃及(エジプト)
 筆者である難波勝治(『続編』では、“勝治”ではなく、“勝二”表記)は、1891(明治24)年に岡山県に生まれ、1915(大正4)年に京都帝国大学法科大学(現在の京都大学法学部)の英法科を卒業し、翌1916(大正5)年に横浜正金銀行に入行しています。英語力やイギリス法への専門性を評価されたためか、入行してから最初の10年間で、上海支店、ボンベイ支店(現在のムンバイ、インド最大の商業・金融都市)、ロンドン支店に配属されました。
 ボンベイ支店支配人代理時代の難波が、業務の余暇を利用して調査した内容をまとめ、1924(大正13)6月に調査課によって発行された冊子が、『前編』になります。『前編』執筆時、難波にとってエジプトは、未だ見ぬ地だったわけですが、執筆から約2か月後、イギリスに赴任する途中の難波は、約半月にわたりエジプトのアレキサンドリアに滞在する機会を得ます。かつて本で調べた場所について、今度は実際に見聞き体験した内容も含めて、『続編』としてまとめたのです[図4]。
 難波が執筆していた1924年上半期、横浜正金銀行はアフリカ大陸に未進出で、もちろんエジプトにも店舗を構えていませんでした。なぜ難波勝治は、エジプトの地に関心を寄せることとなったのでしょうか。

日本とエジプトと綿花
 日本とエジプトの外交関係は、日本がエジプト王国の独立を認めた1922(大正11)年からはじまります。1926(大正15)年3月には日本の総領事館が、同年7月には横浜正金銀行の出張所が、アレキサンドリアに設置されています。しかし、総領事館よりも横浜正金銀行よりも早く、エジプトに進出した企業がありました。横浜正金銀行の取引先でもある、日本綿花株式会社です。
 第一次世界大戦期、日本の紡績業は非常に発展し、日本の綿製品も世界的進出を果たしました。創立直後よりエジプトに関心のあった日本綿花株式会社は、これを機に、エジプト綿の輸入増加や、エジプトとその近隣諸国への綿製品輸出に期待を寄せます。そして1923(大正12)年2月には、日本綿花株式会社アレキサンドリア出張所の開設にいたりました。難波が『前編』『続編』を執筆したのは、開設の約1年後になります。
 『前編』では、風土や農産業、貿易や金融など、エジプト全体の概要をまとめている難波ですが、『続編』では、エジプトと日本の関係性を重視しつつ、綿花を中心とした状況や今後の課題をまとめています。
 従来エジプト及び近隣諸国の綿布市場は、イギリスのランカシャー地方とアメリカ綿工業の勢力下にありました。そしてランカシャー地方や日本の綿工業は、原料としてアメリカ産やインド産の綿花を使用していました。かつてボンベイ支店支配人代理を務め、その後ロンドン支店に配属された難波にとって、綿花は特に関心の高い商材だったと考えられます。加えて、第一次世界大戦の影響によるエジプトのランカシャー製品輸入減少や、日本綿花株式会社を筆頭とする日本綿布進出の機会創出は、貿易を支える横浜正金銀行の行員としてエジプトを調査研究すべきと認識させるに十分だったでしょう。
 難波は『続編』の結辞において、もしエジプトに開店するならば、従来のような日本・エジプト間の交流や相互理解が不十分な状態にせず、何人かの横浜正金銀行員はエジプトとエジプト人について研究する必要があると主張しています。特に、綿花に関する研究を十分に行い、エジプトに行く人材は英語のほかにフランス語やイタリア語の素養が必要だと述べています[図5]。現地を視察した難波だからこそ、日本に伝えなければならない課題として浮上させることができたのではないでしょうか。
 1925(大正14)年4月、海外販路拡張をめざす横浜正金銀行では、輸出販売・金融関係の予備知識準備として、アフリカとバルカン半島視察にカルカッタ支店支配人とリヨン支店副支配人を派遣しています。難波の書いた『埃及経済事情』『続 埃及経済事情』は、1926年の横浜正金銀行アレキサンドリア出張所の開店、そして、このあと広がりをみせる日本・エジプト貿易関係を支える大きな一歩だったのかもしれません。

 2026(令和8)年3月7日(土曜)に関内ホールで開催する「けんぱくトークフェス―学芸員が語る逸品―」では、『調査報告』には載っていないエジプト調査時の難波勝治(勝二)の様子がわかる資料をご紹介します。ぜひ、3月の「今月の逸品」と合わせてお楽しみください。

(大薗 佳純・当館非常勤学芸員)

参考文献

  1. 『特別展 重要文化財旧横浜正金銀行本店本館創建100周年記念 横浜正金銀行―世界三大為替銀行への道―』神奈川県立歴史博物館、2004年
  2. 寺嵜弘康「【資料紹介】神奈川県立歴史博物館所蔵の旧横浜正金銀行調査部図書について―旧横浜正金銀行資料コレクションの紹介―その1」『神奈川県立博物館研究報告―人文科学―』第33号、神奈川県立歴史博物館、2007年
  3. 「二国間関係情報~日本との関係」、在エジプト日本国大使館ホームページ、2026年1月9日更新(https://www.eg.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_00962.html
  4. 『社史で見る日本経済史第5期 第67巻 日本綿花株式会社五十年史(日綿実業株式会社編・刊 1943年)』ゆまに書房、2013年
  5. 『横浜正金銀行全史』第三巻、東京銀行、1981年

ページトップに戻る