展示

【テーマ5】民俗「現代の神奈川と伝統文化」

常設展示 民族「現代の神奈川と伝統文化」

※常設展の展示物は随時入れ替えを行っています。下記で紹介している資料が展示されていない期間もありますので、ご了承ください。

現代の神奈川県は、関東大震災と第二次世界大戦時の空襲という二つの大きな被害を乗り越えて、今日に至っています。

昭和6年(1931)の満州事変以降、日本は戦争への道を歩みはじめ、県下には陸海軍の基地や軍需工場が数多く設置されました。昭和20年(1945)に長く苦しい戦争は終結し、代わって占領軍の進駐と接収が始まると、日本の政治経済体制は大きく変化しました。そして、昭和30年代後半から40年代にかけて日本の経済は急激な成長を遂げ、人口が増加して社会資本が整備されていく一方で、公害などの社会問題も発生しました。

都市化が進んだ農山漁村では、従来の相互扶助の変化・農地の宅地化・他所からの新住民の移住による新たな地域社会の形成など、長い暮らしの中で培われ伝えられてきた生活様式や生活用具が姿を消していきました。しかしながら、年中行事・冠婚葬祭・祭礼など「ハレ」の行事には今日でも地域ごとに伝えられている伝統的な文化が数多く残されているものもあります。

民俗展示室では、神奈川県の地形風土のもとに育まれた衣食住や生業などの民具(有形民俗文化財)と祭礼や信仰などの伝承(無形民俗文化財)を紹介しています。

展示内容

変貌するムラとマチ

伝統的なムラ社会では、村びとたちの独自なつきあいかたがありました。たとえば、田植や屋根葺替え作業、道普請などは重労働であったため、お互いに協力して助け合う労働組織を形成していました。また、祭りを運営する祭祀組織、葬式を手助けする講中、稲荷講・大山講・念仏講といった信仰的な講集団などもムラのなかにしっかりと根付いていました。

ムラの共有膳椀

結婚式や葬式などの際には多くの人々が家に集まり、これらの膳や椀などを使用しました。例えば結婚式で使用する結納の品々を載せる盆・角樽・入り時の挟み箱などがあり、葬式では忌中祓いの席で使用した文化2年(1805)」の紀年銘を持つ朱塗の角型のオハチがあります。毎年盆の前後にワンアライ(椀洗い)と称して、女衆が集まって椀蔵の共有物の虫干しと掃除を行い、大切に扱っていました。

イエと暮らし

昔のイエ(家)は、単なる居住空間だけではありませんでした。イエには神棚や仏が置かれ、神や仏が祀られていました。独立した個室はなく襖や板戸で各部屋を仕切っており、結婚式や葬式などの人寄せの際にはそれらをはずして使用しました。囲炉裏は生活の中心の場で家族の団らんの場でした。

季節展示

復元民家の中では、正月・盆・雛祭り・五月人形・月見・エビス講・道具の年取りなどの「ハレ」の日を再現した季節展示を行い、かつての生活空間を活かして県内の特徴的な年中行事を紹介しています(「ハレ」の日が終ると普段の生活に戻りますので、季節展示がない時期もあります)。あなたが来館した際にはどんな季節展示がされているでしょう? 展示室で季節の移ろいを感じてみてください。

暮らしの中の祈り

人びとは日々の暮らしを無事に過ごせるように祈願し、家や村の中にいろいろな神や仏を祀りました。その様相は、路傍の石造物、寺社の絵馬などに見ることができます。かつては五穀豊穣など、村全体で祈る共同祈願でしたが、現在は交通安全・合格祈願などの個人祈願が多くなっています。

お馬流しの馬

お馬は茅で作った「馬首亀体」(首から上は馬で、胴体は亀)の作り物で、神船に乗せられて沖合まで行き海中に放流されます。お馬が陸地に還流してくることがないように潮の干満を重視し、八月上旬の満潮時に行います。海に法流することでお馬に憑依した災厄を祓うのですが、関東大震災の年はこれが陸地に戻ってきてしまったそうです。

なりわいと儀礼

昭和30年代頃までの農具は、江戸時代のものと比べても大きく変わっていません。代掻きから収穫までの農作業はほとんどが人力でした。日照り・風害・水害・虫害などの自然災害から稲の生育を守るため、栽培過程の節目に神々に祈願・感謝する稲作儀礼をおこないました。

筒粥神事の筒

大釜に神池の水・神木の梛(ナギ)の葉・米一升を入れて煮た後に取り出し、葦(あし)筒の中の粥の入り具合で豊凶を占います。占う対象は、大麦・小麦・稲・ひえ・あわ・大豆・小豆などの農作物や、日・雨・風等の天候、世の中の安寧の27項目で、結果は木版刷りにした神札に記入して配布します。毎年1月14日の小正月行事として行われます。

伝承される技術と芸能

伝統工芸や民俗芸能といわれる技術は、親方から弟子へ、村の長老から若者へと世代を超え、繰り返し伝承され、今も脈々と生き続けています。これらの技術伝承は、長年の訓練と経験から得た勘やコツを口頭で伝授してきました。

組子三十六卵

箱根細工の技法の一つである組子細工で、江戸時代には土産物として売られていた十二卵に由来します。玉子二つに割るとさらに、つぎからつぎへと同じかたちをしたものが出てくる挽物の玩具です。中からは次第に小さな卵が現れ、36個目の卵は僅か0.5ミリ。精巧な技術に注目してみてください。

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