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特別陳列

【Webで楽しむ!】「出土文字資料からみる古代の神奈川」

令和2年度 特別陳列「出土文字資料からみる古代の神奈川」

2021年3月23日から28日とわずか6日間の会期となったため、観覧を楽しみにしていた方の中には都合がつかず、ご覧いただけなかった方もいらっしゃるのではないでしょうか。 そこで展示の概要をWebでご紹介いたします。


はじめに

 歴史学の研究に欠かせない文献資料は、主に紙に記された文書や記録、あるいは石碑に刻まれた銘文や仏像の胎内銘などの金石文が中心でした。1970年代以降になると各地の遺跡から出土した木簡や墨書(刻書)土器、漆紙文書、文字瓦などの出土文字資料が加わり、その資料数は大幅に増大するとともに、研究が深化しました。神奈川県においても、これら出土文字資料によって古代の在地社会が明らかになってきました。そこで最初に、木簡や墨書土器は、どのような資料なのか紹介していきます。

展示室入り口
展示室風景a
□ 木簡とは?

 木簡とは、墨書された木札のことです。古代の場合、その用途は文書や記録、物品に付された荷札・付札が多いです。形態もさまざまで、例えば荷札・付札は紐で物品に括りやすいよう刻みが入っています。木簡がなぜ利用されたか、紙が貴重であるということもありますが、耐久性や削れば何度も再利用ができるといった木材ならではの利点が考えられています。

□ 墨書土器とは?

 墨書土器は、土師器や須恵器に文字が記されたものです。1~2文字のものが多く、その意味するところは解釈が難しいですが、記号や呪術的な文字もあれば、その土器の所属先を記したと考えられるものもあります。木簡は官衙的要素が強い遺跡から出土することが多いですが、墨書土器は一般の集落からも出土しており、文字の普及といった面でも興味深い資料です。

□ 漆紙文書とは?

 漆紙文書は、漆を入れた器の蓋紙に漆が含浸し、コーティングされ土の中でも腐敗せず残存した紙の古文書です。漆は空気に触れると硬化することから、使わなくなった反古紙が蓋に利用されました。その中には帳簿や暦など地方行政や地域社会を知る上で貴重な文書も含まれていました。

■ 県内最古の文字資料
文字瓦展示風景

 神奈川県内で発見された最古の出土文字資料は、7世紀代に遡る寺院の瓦です。1点は川崎市宮前区にある影向寺境内の遺構から出土したもの(写真右端)で、「无射志国荏原評」(むさしのくにえはらこおり)と刻書されています。「評」は大宝律令施行以前の地方行政単位で、後の「郡」にあたります。このことから、この瓦が7世紀末期に制作されたことがわかります。なお影向寺は古代では武蔵国橘樹郡(評)に所在し、銘にある「荏原評」との関係が注目されます。
 もう1点は、小田原市永塚の千代廃寺跡から出土した軒丸瓦で、瓦当の側面に「大伴五十戸」と刻まれています(同中央)。「五十戸」も7世紀段階の地方行政単位で、後の「郷(里)」にあたります。令制下の「大伴郷」は足上郡に属しますが、千代廃寺は足下郡高田郷に位置すると考えられています。影向寺と同様に、郡を越えての瓦の供給が興味深いところです。

■ 最初に見つかった木簡
木簡展示風景1

 奈良の平城宮で初めて木簡が出土した前年の昭和35(1960)年6月、小田原市永塚にあった下曽我遺跡(永塚遺跡、あるいは千代遺跡ともいう)で発掘調査が行われ、木簡が出土しました(写真右の2点)。
 この遺跡は、県文化財保護専門委員も務めた赤星直忠氏によって戦前にも調査が行われており、最初に國學院大學の樋口清之氏らによって6月12日から21日に発掘調査が行われ、木簡のほか「大家」や「永東」などと記された墨書土器などが出土しました。
 そしてその調査が終了した翌日の22日から27日まで今度は神奈川県によって周辺の発掘調査が行われ、この際も2点の木簡が発見されました。
平城宮での木簡発見より半年近く早く、神奈川県内において木簡が発見されていたことは一般にはあまり知られていません。神奈川の古代史研究における嚆矢といえるでしょう。

■ 宮都出土の文字資料
木簡展示風景2

 畿内に所在した古代の宮都では、数多くの木簡や墨書土器などが出土しています。特に多いのが、荷札や付札といった木簡ではないでしょうか。これは全国から調庸などの税として納められた物品に付けられていたもので、倉に保管されていた物品が使用された際に廃棄されたものと考えられています。
 これらの荷札・付札は、出土した宮都ではなく貢納した国の役所、もしくは郡の役所で作成され付けられたものと思われます。そこには地名、物品名や数量、年月日、さらに貢納者の人名や検査した役人の名前が記されているものもあります。遠く離れた都城から出土した木簡ですが、まさに地域を物語る貴重な資料といえるでしょう。今回の展示では、7世紀段階では飛鳥池出土の「諸岡五十戸」木簡(写真右端)を、8世紀では長屋王邸跡と二条大路出土の木簡3点を紹介しました。


1 国府と郡家

墨書土器展示風景1

 古代の律令国家は、地方行政を担う役所として国には国府を、郡には郡家(ぐうけ)(郡衙(ぐんが))を置きました。
 現在の神奈川県は、相模国全域と武蔵国の南部三郡(橘樹・都筑・久良)が県域となっています。武蔵国の国府は、現在の東京都府中市に置かれていました。
 一方、三郡の各郡家ですが、橘樹郡は川崎市高津区の千年伊勢山台遺跡が郡家として推定されています。また都筑郡は横浜市青葉区の長者原遺跡が郡家であることが、それぞれ発掘調査によって明らかになっています。
 なお久良郡家は、現在まだ発見されていませんが、弘明寺周辺ではないかと想定されています。一方相模国の国府ですが、かつては高座郡→大住郡→余綾郡と三遷したという説がありましたが、近年平塚市内の国府跡とされる遺跡が8世紀段階に遡ることが明らかになってきており、初期国府は大住郡にあり、その後余綾郡に遷ったとする二遷説が有力となっています。
 また郡家は相模国内八郡の内、鎌倉郡家(鎌倉市・今小路西遺跡)と高座郡家(茅ヶ崎市・西方A遺跡)の2ヶ所が発掘調査でわかっています。また推定ですが、小田原市の下曽我遺跡(千代遺跡)周辺が足下郡家の有力地とされています。
 なお近年、『出雲国風土記』の記述にあるように国府が所在する郡の役所は、国府近くに置かれたことが武蔵国や下総国を事例に研究されています。相模国でも国府域から「郡厨」と記された墨書土器(写真右端)が出土し、大住郡家が近接して存在したことが想定され、興味深いところです。

■ 官衙的な遺跡
墨書土器展示風景2

 官衙とは役所を意味し、古代の地方においては国府や郡家が相当します。それら官衙遺跡では、特に中心部分にあたる政庁では、方位の軸を揃え中央に空間ができるよう周囲を長形建物で囲み、一般にロの字型、あるいはコの字型と称される建物配置が大きな特徴となっています。しかし一方で、そのような規則性は持っていませんが、一定の棟数の掘立柱建物から構成され、かつ木簡や墨書土器、あるいは官人の装身具など特徴的な遺物が出土する遺跡がみられます。例えば海老名市の大谷向原遺跡では「高坐官」(写真右端)や「大宅」(同中央)の墨書土器が出土し、「館」や「宅」といった役所的な施設の存在が窺われます。遺跡の性格を確定することはなかなか難しいのですが、役所の出先機関、または物資輸送の中継地点、あるいは在地の有力豪族層の邸宅などではないかと考えられています。そしてこうした遺跡を、官衙的要素が強い遺跡として一般的な集落とは分けて捉えているのです。


2 集落

線刻紡錘車展示風景

 古墳時代後期から平安時代にかけての集落遺跡は、神奈川県内でも数多く存在します。
 その建物遺構は竪穴式住居が中心で建て替えを行いながら長期にわたり定住していた様子が窺えます。そしてこのような一般的な集落からも、墨書土器が多く出土することがあります。
 その多くは一文字が墨書されたもので、同一集落内の各遺構から同じ文字の墨書土器が見られることが多いです。これらは文字という以外に、集落の一種の記号として用いられたとも考えられています。さらに「万」や「福」などの吉祥文字を記したものもみられます。
 さて集落遺跡の中には、「寺」や「佛」といった仏教用語を記した墨書土器が出土する遺跡もあります。またこうした遺跡からは、墨書はないが坏の口縁部に煤が残り灯明皿として利用したと思われる土器が出土することもあります。
 これら出土遺物から、集落内において何らかの仏教的な行事が行われていたことが容易に考えられます。さらに竪穴式住居の中に一棟だけ掘立柱建物が建っている遺跡があります。おそらくこの建物は仏堂のような性格であり、ここを中心に行事が行われたのではないでしょうか。
 そしてこうした建物を便宜上、集落内、あるいは村落内寺院と称しています。金堂や塔がある寺院は在地の有力豪族によって私寺として建立されましたが、一方で民衆が暮らす集落内にも宗教的な施設を見出すことができ、古代において仏教文化が末端まで広がっていたことが窺えるでしょう。


3 仏教と祭祀

人面墨書土器展示風景

 欽明天皇の時代、百済の聖明王から金銅の釈迦如来像と仏典などが日本にもたらされたのが仏教の公伝とされています。その後、天武天皇は国家仏教政策を推進し、「諸国毎家作仏舎」(諸国家ごとに仏舎を作れ)という文言の詔を発したことで、全国各地で寺院が盛んに建立されるようになりました。
 神奈川県内で建立時期が明らかに7世紀代に遡る寺院は、川崎市の影向寺と横須賀市の宗元寺、そして小田原市の千代廃寺です。また聖武天皇の発願による国分寺・国分尼寺は、相模国では高座郡(海老名市)に建立されました。一方で郡でも有力豪族らによって寺院が建立されており、茅ヶ崎市の下寺尾廃寺(七堂伽藍跡)などがあります。下寺尾廃寺の近くには高座郡家があり、そのほか影向寺も橘樹郡家と隣接、千代廃寺も足下郡家の想定地に近接している、といったように寺院と郡の役所がセットで見つかる事例は全国的にみられます。両者がどのような関係にあったのか、寺院の性格も含めその背景は興味深いところです。
 また茅ヶ崎市の居村B遺跡では「放生」という仏教的な行事に関する木簡が出土しており、さらに下寺尾廃寺の近く小出川の旧河道の調査では人面墨書土器(写真中央)や絵馬、人形など呪術的な資料が出土しています。在地においても仏教に限らず、神祇信仰や道教的な信仰などさまざまな祭祀が執り行われていたことがわかります。これら祭祀は、おそらく在地の郡司層たる有力豪族が主体となって行ったものと考えられます。


4 仏教と祭祀

文献資料展示風景

 古代の文献資料には限りがあります。特に東国については『日本書紀』や『続日本紀』などの六国史の記述以外には、正倉院に残る古文書などわずかにしか残っていません。
 正倉院文書では、天平7(735)年の『相模国封戸租交易帳』が有名です。封戸とは、皇族や王族、高位高官の官人、大寺院などに与えられた禄で、経済的特権の一つです。相模国内には、光明皇后や舎人親王、鈴鹿王、そして従二位右大臣藤原武智麻呂らの封戸が存在しましたが、その所在地である郷名などは地名研究としても重要です。また同じく正倉院に残る天平10(738)年の『駿河国正税帳』では、当時の相模国の人の往来の実態がわかります。例えば、天皇に貢納する橘子(たちばなのみ)の輸送責任者や、あるいは九州から帰国する防人230人などについて記されています。しかしここに記録された人々は公務での旅行者であることから、運脚夫など自弁の旅行者はいません。実際は、もっと数多くの旅行者が東海道を往来していたものと思われます。 その他、相模国が平城京内に出先機関として構えていた調邸の土地売却に関する文書も、大変貴重かつ興味深い資料です。 なお紙に記された文書ではありませんが、奈良時代に税として納めた調庸布も正倉院に多く残され貴重な資料となっています。


おわりに

 この特別陳列では、神奈川県内で出土した木簡や墨書土器のうち、代表的な出土文字資料を一堂に展観いたしました。展示された出土文字資料は、1点1点は断片的であり多くのことを語りませんが、地域を考えるうえであらゆる手掛かりを私たちに与えてくれます。わずかな情報を読み解き、可能性を探り出すことで、古代の神奈川の様相が少しずつですが明らかになってきています。
 出土時には解読できたがその後薄くなってしまった資料もありますが、当初から文字があるか判断つかず、赤外線を照射することで発見、解読した資料もあります。発掘調査や遺物整理に関わった多くの人の努力によって、これら木簡や墨書土器は私たちにとって新しい貴重な資料になっているといえるでしょう。
 文献史学だけでは解決できない課題も、このような出土文字資料を通して考古学と協働することで、新発見につながります。専門分野を超えた学際的な調査研究が、今後もますます盛んになっていくものと思います。
 今回は新型コロナウイルス感染症の影響により、当初の会期から大幅に短縮となりました。本WEBで当展示を楽しんでいただいた皆さまには、あらためて木簡や墨書土器などに関心を持っていただければ幸いです。

展示室風景b
展示室風景c

 当館は、国の「緊急事態宣言」を受けた「特措法に基づく緊急事態措置に係る神奈川県実施方針」に基づき、臨時休館を再延長いたします。それに伴い特別陳列「出土文字資料からみる古代の神奈川」の開始日を3月23日(火)に変更させていただきます。

 古代の東国の様相については、かつては文献資料が乏しく、かつ断片的であることから、在地の具体的な社会を窺い知ることは難しい状況でした。
 そのような中、1980年代以降各地で開発に伴う発掘調査が盛んになると、それまで知りえなかった新たな文字資料が土中から数多く発見されました。
 そしてこれら出土文字資料により、東国における古代社会の様相も次第に明らかになってきました。神奈川県内でも、市町村で発掘調査が進み、多くの出土文字資料を得ています。
 それら出土文字資料は、それ以前に知られていなかった古代神奈川の新たな姿を物語ってくれています。
 そこで本展では、県内の遺跡から出土した文字資料を中心に、都城出土の木簡や、以前から知られていた文献資料を加え、文字資料から窺える古代神奈川の様相について、現時点での成果を紹介します。

開催情報

ご来館される前にこちらをご確認ください。

会期・休館日・開館時間

■会期:2021年2月6日(土)2021年2月9日(火)3月9日(火)3月23日(火)~3月28日(日)
■休館日:月曜日、2月12日(金)、16日(火)、24日(水)
■開館時間:9時30分~17時(入館は16時30分まで)
■観覧料:
常設展示観覧料でご覧いただけます。
一般300円(250円)
20歳未満・学生200円(150円)
65歳以上・高校生100円
※中学生以下・障害者手帳等をお持ちの方は無料、( )内は20名以上の団体料金
※神奈川県立の美術館・博物館等の有料観覧券の半券提出による割引制度あり

会場

神奈川県立歴史博物館 1階 コレクション展示室

主催

神奈川県立歴史博物館

関連行事

※新型コロナウイルス感染症の感染拡大の状況を鑑み、以下の催し物の開催は中止とします。

  • 県博セミナー(全3回)「出土文字資料から古代神奈川をさぐる」
  • 学芸員による展示解説

特別陳列「出土文字資料からみる古代の神奈川」出品目録

出品目録

関連資料

2020年度 特別陳列 【出土文字資料からみる古代の神奈川】 関連文献リスト

展示品について

宮久保遺跡出土木簡(複製)
宮久保遺跡出土木簡(複製)/綾瀬市
 
千代南原遺跡出土木簡(複製)
千代南原遺跡出土木簡(複製)/小田原市
 
天神前遺跡出土墨書土器「郡厨」
天神前遺跡出土墨書土器「郡厨」/平塚市
写真提供/平塚市教育委員会

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