展示
県指定重要文化財 源頼朝袖判下文 建久3年(1192)9月12日
「今月の逸品」では、学芸員が交代で収蔵資料の魅力を紹介します。
2018年4月の逸品(展示期間:4月28日~5月27日)
県指定重要文化財 源頼朝袖判下文 建久3年(1192)9月12日
『吾妻鏡』によると、源頼朝は鎌倉幕府の政所整備を進めるなかで、将軍家が発給する公文書を、将軍家が文書の袖に花押を据える袖判下文から、将軍家の意向を受けた政所職員が作成して連署する政所下文に様式を改めると御家人に伝えた。政所下文では、将軍家は文書を持ってうかがいに来た政所職員に可否の判断と指示をすればよいので、政所職員が仕事の前面に出てくる。
ところが、鎌倉幕府は源頼朝を武家の棟梁として仰ぐ主従制に基礎を置いて御家人を把握している。千葉常胤は、この文書様式の変更で、源頼朝の存在が文書から消え、頼朝と御家人との距離が遠くなることを警戒した。それ故、袖判下文の発給を別に求めた。
この文書は、『吾妻鏡』建久三年八月一日条に書かれた上記のエピソードに関連するものとして、特別な意味を持っている。小山氏は、小山朝政の父政光が源頼朝の乳母寒河尼を妻とした縁で、家族のつきあいをしていた。小山氏は頼朝の身内なので、千葉常胤のように袖判下文にこだわらず、頼朝の意向が通るように動くのが立場と考えられる。千葉氏が袖判下文を発給してもらうことが決まった後で、私も発給してもらおうと頼朝に頼んだのであろう。
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