展示

改正日本輿地路程全図と自神奈川至小田原 東海道図

今月の逸品」では、学芸員が交代で収蔵資料の魅力を紹介します。

2018年12月の逸品(展示期間:~2019年3月まで ミュージアムトーク:12月19日)

改正日本輿地路程全図(かいせいにほんよちろていぜんず)と
自神奈川至小田原 東海道図(かながわよりおだわらにいたるとうかいどうず)※

改正日本輿地路程全図(かいせいにほんよちろていぜんず)と<br>自神奈川至小田原 東海道図(かながわよりおだわらにいたるとうかいどうず)※

改正日本輿地路程全図
寛政3年(1791)版
85.0×130.0cm

今月は江戸時代の絵図二点を紹介する。
一つは安永8年(1779)に初版が出版され、それまでの日本図の概念を一新したとされる「改正日本輿地路程全図」。制作者長久保赤水にちなんで「赤水図」と呼ばれる。実測図ではないが、これ以前に作られていた日本図と比べると国土の形状が格段に「精確」に描かれ、ベストセラーとなった。東西の緯線と南北の方角線を引くのが特徴で、列島周囲にコンパスローズ(方位盤)を配置する。緯線の位置は現在と大きくは変わらないが、南北線は全ての緯線と直交しており、現在の経線とは異なるものである。赤水図はこれ以降の日本図のスタンダードとなり、多くの類図が作成され、明治初期まで広く流布した。
二つ目は伊能忠敬が制作した測量地図「大日本沿海輿地全図」原本の雰囲気を伝える「自神奈川至小田原 東海道図」。「大日本沿海輿地全図」は大図・中図・小図の三種があるが、幕府に納められた浄書本原図はすべて失われたとされている。今回展示したのは大図を基にしたと考えられる神奈川宿から箱根付近までを描いた東海道図。朱線で描かれた測量線、☆印で示された天測点、絵画的に描かれた山地など、伊能図原本を忠実に写していると思われる図である。幕府は伊能図を公開しなかったが、様々な伝手を頼って写しがつくられていた。
赤水図にはより正確な地図を作ろうとする志向性が表れている。そしてその方向をさらに追及したのが伊能忠敬である。これは近代的合理性への志向といえよう。展示室では二つの地図を見比べながら、それぞれの特徴や見どころをお話しするとともに、このような地図が生まれた時代背景も考えてみたい。(古宮 雅明 当館学芸員)

※当初、「富士山噴火絵図」を予定しておりましたが、本資料に変更となりました。
「自神奈川至小田原 東海道図」の図版は掲載しておりませんが、常設展示テーマ3にて、展示しております。ぜひ実物を「改正日本輿地路程全図」と比べてご覧ください。

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