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エビス講

ウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。

2021年11月の逸品

エビス講

エビス講

大磯町国府新宿のエビス講供物(複製)

今月は、エビス講の資料をご紹介いたします。エビス講とはエビス神をまつる年中行事の一つです。エビスと聞けば、右手に釣り竿、左手に鯛を抱え、風折烏帽子をかぶり「エビス顔」で微笑む姿を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。エビスは七福神の一つでもあり、漁業・農業・商売の神様として広く信仰され、私たちにとっては身近な神様といえます。エビスを漢字で表すと恵比寿、恵比須、戎、夷、蛭子、胡など色々ありますが、今回は片仮名で表記することとします。
エビス講の実施日は、西日本と東日本では異なります。西日本では1月10日を十日エビスといい、兵庫県の西宮神社や大阪府の今宮戎神社などで賑やかな祭礼が行われます。総本社の西宮神社においてはすでに平安時代末期からエビス信仰が盛んであったといわれます。一方、東日本では江戸時代中期以降にエビス信仰が伝播し、各家庭や商人の講中組織により1月20日と10月20日の春秋2回行われるようになりました。明治初めの改暦以降、秋の方は月遅れの11月20日に実施することが多くなったようです。地域や家によって、春秋どちらか片方のみの場合や、秋の方を12月20日に行う所など様々です。また1月を商人のエビス講、11月を農家(あるいは百姓)のエビス講と呼ぶ地域もありました。こうしたエビス講の行事は神奈川県内全域でみられた習俗です。

では県内の事例を見てみましょう。当館の常設展示室内の復元民家にもあるように、エビスは台所や茶の間のエビス棚に大黒と共にまつられています(図1)(図2)。エビス講の日には二体の神像を棚から座敷に下ろし、ちゃぶ台や床の間に据えご馳走を供えました。この時、ご飯と味噌汁の位置を左右逆にする左膳の例(県央地域や横須賀市)や、膳の木目を縦ではなく横にし、魚の頭や箸を通常と逆の向きで置くといった例(川崎市・横浜市・相模原市)が多く残っています。また、エビスは独身のため下ろした供物を未婚の子どもに食べさせてはいけないという例(県央~県西地域)もみられました。農家や商家では「エビスは春に働きに出て秋に戻ってくる」といった去来伝承が伝えられ、できるだけ多く稼いでもらうために1月は粗末な供物をして送り出し、秋には稼いできたお礼にたくさんご馳走を用意しました。春にたくさんの供え物をすると、怠けてしっかり働かなくなるといわれます。また売買の真似事をするという例もしばしば聞かれ、相模原市緑区相原では、「家の主人が膳を下げる際、エビスに(膳を)一千万円で買い取りますと言った」などという報告もありました。
講の日の供物は、地域によって多少の差異はありますが、野菜の煮しめ、蕎麦などのほかにけんちん汁、尾頭付きの魚、大根、季節の果物等が準備されました。今回ご紹介するエビス講の供物(複製)は大磯町国府新宿のものです(図3)。エビス・大黒の神像(図4)に燈明をあげ、赤飯、味噌汁、ヌタ(葱・イカ・わかめ)、ナマス(大根・人参)、煮しめ(里芋・人参・椎茸・蒟蒻・竹輪・昆布)、煮豆、腹合わせにした鯛二尾、蜜柑や柿などの季節の果物を供えました。二神の横には一升枡にお金の入った財布を入れ、春には豊作や商売繁盛を祈り、秋にはその感謝をしました。
このようにエビス講は商家や農家などの個々の家で行われることが多いとされます。しかし、かつては個々の家だけでなく、講員が当番となる宿に集まって共同飲食する例も多くみられました。次に紹介するのは藤沢市遠藤の商人組合で使用されていたエビス講の掛軸と帳面です。掛軸(図5)は昭和2年(1927)に新調したもので、鯛を抱えるエビスと米俵に乗る大黒が描かれ、裏には世話人5名と講員19名の名前が記されています。これは、講の際に掛けて使用されたものでしょう。帳面は、明治35年(1902)から昭和14年(1939)の37年間のうちの18年分の記録が記載されています。当地のエビス講は、1月または11月に実施され、多い時で35名が参加し、氏名・寄付金・供物を購入した記録が記されています。大正6年(1917)の帳面(図6)をめくると、「酒代 かし 砂糖 正油(醤油) 半紙 トウフ アゲ(油揚げ) 葱 藷(諸ヵ)品 肉 葱」(図7)と書かれ、それぞれの購入金額が記されています。購入品からみると、けんちん汁を作ったのでしょうか。この帳面からは、掛軸を新調した時の金額や、供物の魚として鯖や鰯が準備されたことなどが記載されています。また、大正の終わりには酒類にビールが加えられたことや、昭和初期には炭代やマキ(薪)代という記載がなくなり、電気代の記載が確認できます。物価の変化や時代の移り変わりによる生活の変化も見えてきて大変興味深い資料です。

秋から冬へと移りかわるこの季節。人々にとっては、秋のエビス講の日から足袋を履いても良いといったり、この日までに穀物の取入れを終わらせなければならないといった目安となる日でした。また、正月準備で忙しくなる年末への分岐点となる時期ともいえるでしょう。商店ではエビス大売出しを行い、お客さんには蜜柑を配りました。お正月の衣類の準備をこの時にしたという報告も多くみられます。一方、1月のエビス講も地域によっては正月が終了すると考えられる「二十日正月」と同日であり、エビスが出稼ぎに行くように、人々も正月気分から日常に戻る切り替えの日ともいえます。人々はエビスの出稼ぎを自分自身の労働に重ね合わせて考えていたのかもしれません。(三浦 麻緒・当館非常勤学芸員)

※ここでご紹介したエビス講関係資料は、当館2階常設展示室テーマ5で、2021年10月22日から2022年1月下旬まで展示しています。

参考文献:
田中宣一『年中行事の研究』1992 桜楓社
県内各市町村発行民俗調査報告書

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