展示
国芳の武者絵
ウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当分の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。
2021年12月の逸品(展示期間:〜2022年1月10日)
国芳の武者絵
はじめに
2021年は、浮世絵師の歌川国芳がこの世を去って160年になります。これを記念して展覧会が各地で開催されています。当館でも8月から、常設展テーマ3で「没後160年 歌川国芳の魅力」と題して小さな展示を行っています。今回は5期(おそらくもう1期追加します)にわたる国芳展の3期目です。
国芳は現在、人気がある浮世絵師の一人です。私が大学で美術史を学び始めた頃(平成初期)よりも、展覧会をはじめ様々な媒体で国芳の作品を目にするようになりました。それは国芳の作品が江戸時代の文化にそれほど詳しい知識を持たない現代人をも惹き付けることができるものを持っているからに違いありません。擬人化された猫の姿をはじめ、国芳の浮世絵の題材はバラエティに富んでいますが、今回ご紹介するのは、武者絵と呼ばれる作品群です。
武者絵とは浮世絵の画題分類の一つで、歴史上の武将や架空の豪傑が英雄として活躍する物語の場面を描いた絵のことです。当時の人々が読本(小説の一形態)などで楽しんでいた物語の勇ましい場面を描いています。武者絵は浮世絵の歴史の初期から見られ、多くの浮世絵師が手がけましたが、なかでも国芳はその名手として評価を受けています。
しかし、武者絵に描かれた物語は遠い過去に好まれたもので、現代の私たちには馴染みのないものもあります。
展示リスト
- 大江山酒天童子酒■楕之図(■は、木偏に左+月+辶)
- 肥後国水俣の海上にて為朝難風に遇舟くつがへらんと志たりし時讃岐の院の冥助により高間ふうふの一念鮫にのりうつりて舜天丸紀平二をすくふ
- 頼朝公御狩之図
- 冨士裾野曽我兄弟本望遂図
- 和藤内虎狩之図
- 赤沢山大相撲
武者絵と現代人
今回の展示では6点の武者絵をご紹介します。1点は「肥後国水俣の海上にて為朝難風に遇 舟くつがへらんと志たりし時讃岐の院の冥助により高間ふうふの一念鮫にのりうつりて舜天丸紀平二をすくふ」と文章で情景(読本「椿説弓張月」)を説明しています(図1、部分)が、他は簡潔な画題が記されているのみです。また、主要な人物には名前を示している絵が多くみられます。それだけの情報があれば当時の人々はこれらの絵を十分に楽しむことができたのでしょう。しかし、大部分の現代日本人にとって、画題だけで絵を理解することは困難なのではないでしょうか?
今回ご紹介する6点のうち3点は18年の歳月をかけて父の敵(かたき)を討つ兄弟の物語、「曾我物語(曽我物語)」に取材しています。物語の順にみると「赤沢山大相撲」「頼朝公御狩之図」「冨士裾野曽我兄弟本望遂図」です。今でも歌舞伎では「曾我物」と呼ばれる演目がたびたび上演され、神奈川県下では箱根町に曾我兄弟と伝えられている墓所などがあります。しかし、若い世代になればなるほど「曾我兄弟」を知らないように思います。また、苦難を乗り越えてでも殺された父の敵を討つことが「本望」となる心情は、「毒親」という言葉が定着している感のある現代人の理解からは、かけ離れているように感じます。
さらに、国芳の武者絵には画題とは異なる物語が描かれたものがあります。「和藤内虎狩之図」(図2)は近松門左衛門(1653~1725)の浄瑠璃「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」の主人公和藤内(わとうない)が雪の中、虎退治する情景が描かれています。明国人の父と日本人の母の間に日本で生まれた和藤内が、父の祖国の復興のために渡った唐土で虎退治を行う有名な場面です。しかし、和藤内の長烏帽子や蛇の目紋などが、実は加藤清正であることを示しているといいます(図3)。なぜ直接、加藤清正として描かなかったのか? それは、ここでは説明を省きますが、幕府の出版に対する検閲があったからです(注1)。
さりげなく示された真意はもちろん、当時の人々ならよく知っていた物語も一般的な現代人にはなかなか理解できません。そこで、本稿では、その武者絵に少し近づくために表現に注目したいと思います。
国芳「武者絵」の表現の魅力
今回展示する6点は、大判錦絵三枚続と呼ばれるタテ約35~37㎝、ヨコ72~75㎝の大きな画面です。この大きさに登場人物の勇壮さや物語の情景の迫力をあらわすのが絵師の腕の見せどころでしょう。特に、国芳にはこの三枚続の画面に大きく一つの物体を大胆に描く、ワイドスクリーン型と呼ばれる独特の表現(例「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」(図4 展示はしません))があります。この展示では「頼朝公御狩之図」(図5)の猪、「赤沢山大相撲」(図6)の二人の力士が大きく大胆に描かれていて、ワイドスクリーン型に近いように見えます。以下、おすすめの見どころをご紹介します。
展示リスト2
肥後国水俣の海上にて為朝難風に遇 舟くつがへらんと志たりし時讃岐の院の冥助により高間ふうふの一念鮫にのりうつりて舜天丸紀平二をすくふ
実在した武者、源為朝(1139~70)を主人公とした曲亭馬琴(1767~1848)の読本「椿説弓張月」の物語です。保元の乱で崇徳上皇方について敗北、流罪になった為朝の物語を描きます。本図には為朝と妻白縫が乗る舟と、息子の舜天丸(すてまる)、家臣の八丁礫紀平次(はっちょうつぶてのきへいじ)、高間太郎と妻の磯萩が乗るもう一艘の舟が海に出たものの、暴風雨に遭ってしまった場面が描かれます。人物を中心に画面の時系列を追って見てみましょう(図7)。
[1]為朝と舜天丸らを嵐から救うため、白縫は海中に身を投げる(画面中央左:図8)。
[2]讃岐院(崇徳上皇)は為朝(中央右:図9)を救うために天狗たちを遣わす(画面右上:図10)。
[3]高間夫婦は舜天丸が亡くなったものと思い、自害する(画面右下:図11)。
[4]高間夫婦の思いが乗り移ったワニザメが舜天丸と紀平次を救う(画面左下:図12)。
と視線を左右に動かして、物語を追うように描かれています。美術史で「異時同図」と呼ばれる、異なる時間を一つの画面に収める描き方です。先に参考図版で示した「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」も実は同じ場面を描いています。同じ物語でも見せ方が随分異なっています。
展示リスト4
冨士裾野曽我兄弟本望遂図(ふじのすそのそがきょうだいほんもうをとげるず)(図13)
曾我十郎祐成(すけなり)、五郎時致(ときむね)の兄弟が父、河津三郎祐泰(「赤沢山大相撲」(図6)の右で勝者)の仇である工藤祐経を討つ、『曾我物語』のクライマックスといえる場面です。本図は、祐経を殺害した後に、名乗りを上げた兄弟と御家人たちとの乱闘を描いています。兄の十郎は仁田四郎忠常(「頼朝公御狩之図」(図5)で猪を仕留める)に討たれて死に、弟の五郎は御所五郎丸重宗(左・幕から顔を出す人物)に捕らえられた後、殺されます。黒(墨)であらわされた激しい雨に煙る夜の情景に対して、戦う人々は色彩鮮やかで、活力があふれているように見えます。
展示リスト5
和藤内虎狩之図
前述の「和藤内虎狩之図」(図2)は一面の銀世界の中、和藤内(中央)が槍を構えています。歌舞伎の見得のように視線を集めるポーズで、一見、静けさが漂っています。しかし、槍の先に視線を動かすとそこには大きな虎が武者を咥えています。もう抵抗することのない犠牲者の身体からも静けさが漂っていますが、極めて残虐な場面といえます。ここでは視線を誘導させて驚かせる、という演出に見えます。
おわりに
以上、3点の作品の面白さをご紹介しました。いずれも、浮世絵を手に取った人々が物語を呼び起こし、感情移入するための演出といえるのではないでしょうか? 武者絵のように当時人気の物語を題材としている浮世絵は、年月が経つに連れて物語が忘れられていくため、楽しむためのハードルが上がっていきます。例えば、以前は年末になるとテレビで忠臣蔵のドラマが放映されていましたが、昨今はあまりありません。歌舞伎でも浮世絵でも大人気であった忠臣蔵さえ忘れられてしまうと、浮世絵もますます遠くなっていくはずです。浮世絵が出版された当時は、人々がこれらの武者絵をいかに楽しんだか? 思いを馳せていただければと思います。(桑山 童奈・当館主任学芸員)
注1:鈴木重三「133 和藤内虎狩之図」『国芳』平凡社、1992年、p200。「太閤記」が本当の題材であることを隠した作品群については、『浮世絵 大武者絵展』町田市立国際版画美術館、2003年、p188
注2:紙の大きさはばらばらでおおよそでしか示すことができません。
注3:『日本古典文学大系60 椿説弓張月 上』岩波書店、1968年
【参考文献】
鈴木重三『国芳』平凡社、1992年
佐々木守俊・滝沢恭司編『浮世絵 大武者絵展』町田市立国際版画美術館、2003年
渋谷区松濤美術館編『武者絵 江戸の英雄大図鑑』松濤美術館、2003年
『新版 日本架空伝承人名事典』平凡社、2012年
岩切友里子『岩波新書1506 カラー版 国芳』岩波書店、2014年
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