展示
長吉筆 布袋図
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2022年8月の逸品(常設展3階 テーマ2中世で8月31日まで展示しています)
長吉筆 布袋図
名 称: 長吉筆 布袋図
点 数: 1幅
寸 法: 本紙 縦83.6×横39.0㎝
形 状: 紙本墨画淡彩・掛幅装
年 代: 室町時代
署 名: なし
印 章: 朱文壺形印「長吉」
展示期間 2022年8月2日~8月31日
布袋さんとはなにものか
笑みをうかべて大きな袋に腰掛ける人物がひとり[図1]。左手は袋の口を掴み、右手は頭の横に掲げて細い杖を握ります。杖と大きな袋を持ち、顔に笑みをうかべる表情でしばしば描かれる人物といえば布袋さまです。
布袋は明州奉化(いまの中国の寧波)において唐時代末から五代にかけて活動した僧侶です。名を契此(かいし)といい、後梁の貞明二年(916)に没したと一説に伝えられます。雍煕四年(987)成立の伝記集『宋高僧伝』の第21巻に収められる「唐明州奉化縣契此傳」すなわち布袋の伝記には、常に杖をもって布袋を担い(「常以杖荷布嚢」)、あるいは、言葉はふつうではなくあちこちで横になって寝た(「言語無恒寢臥隨處」)といいます。ほかにも、雪の降るなか寝そべる布袋の、その身体のうえには雪がなかった(「曾於雪中臥而身上無雪」)など、奇瑞をあらわす人物として記録されます。さらに布袋は「慈氏垂迹」つまり弥勒菩薩の化身であるとも記されます。飄逸な布袋は聖なる存在として信仰を集め、『宋高僧伝』が編まれたころには長江下流域においてすでにその絵が多く描かれていたようです(「江浙之間多圖畫其像焉」)。さらに、景徳元年(1004)成立の禅僧の伝記集『景徳伝灯録』第27巻にもこれとよく似た記述が確認できます。具体的には、布袋は、かならずあちこちで横になって眠り、いつも杖で布袋を担い、身辺の品をすべて袋の中に貯めていた(「定寢臥隨處。常以杖荷一布嚢。凡供身之具盡貯嚢中。」)と書かれています。加えて、中国の高僧の伝記を志磐(しばん)がまとめた『仏祖統記』(1269年成立)の第42巻には、16人の童子がその傍にいた(「十六群兒譁逐之。爭掣其袋。」)など、『宋高僧伝』や『景徳伝灯録』には記されない新しい記述もみられます。
どんなふうに布袋を描くか
布袋の姿はおそらくこうした伝記をもとにして描かれ始めました。飄逸な散聖としての布袋、あるいは弥勒の化身としての布袋、どの側面を強調するかによってその姿はさまざまに異なって描かれたと想像されます。伝記に記される風貌そのままに、袋を吊り下げた杖を持って立つ姿、弥勒浄土である兜率天がある上空を見遣る姿、具体的な事物(たとえば月)を指さす姿、『仏祖統記』などが記すように童子と戯れる姿など、多様な図像で描かれたことが、現存する作例および禅僧の遺した仏祖賛などから知られます。これらの図像は天拝布袋、指月布袋、布袋唐子などの通称で親しまれています。
長吉が描く布袋は、袋に坐り、左手で袋の口を掴み、右手に持つ杖で身体を支えます。袋の白に、衣の墨色が対比されます。衣の輪郭や衣文を象る濃い墨が布袋の存在をたしかに描き出し、布袋が実在の人物であるという印象を強めます。この濃墨の線は始筆の打ち込みが強く、また角ごとに屈曲しているため、全体として鋭利で刺々しい雰囲気を醸します。袋を描く丸みを帯びた線と比べると、布袋の衣の鋭利さはいっそう明らかに感じられます。この刺々しさを中和するような存在が布袋の顔つきです[図2]。袋の口付近の淡墨と、布袋の衣文の濃墨のちょうど中間くらいの濃さで描かれる顔の輪郭線はふにゃふにゃと柔らかく、さらに目尻、口元、額の皺にも同様に柔和な線が用いられます。皺を形作る墨線に沿って朱色の淡彩が施され、また唇や舌にも同じく朱色の彩りが加えられます。
衣を描く際に用いる鋭利な濃墨線に加えて、顔には中間色の墨で柔らかな線を用いることをふまえると、絵師は描く対象に応じて線の質を変えているといえそうです。この屈曲する濃墨線に注目すると、狩野正信(かのう まさのぶ)筆の崖下布袋図(個人蔵)が類例として想定され、また、布袋が袋に坐って袋の口を持つという姿態に注目すれば、以下の類例を挙げることができます。
元信印 布袋図 徳川美術館 縦109.8×横43.6㎝ (『室町時代の狩野派』京都国立博物館、1998年に掲載)
輞隠印 布袋図 京都国立博物館 縦91.1×横43.3㎝ (京都国立博物館 館蔵品データベース)
輞隠印 布袋図 栃木県立博物館 縦72.5×横30.2㎝ (『狩野派―400年の栄華―』栃木県立博物館、2009年に掲載)
伝玉楽筆 布袋秋冬山水図 Virginia Museum of Fine Arts 縦102.8×横41.9㎝ (https://vmfa.museum/piction/6027262-178878051/)
徳川美術館本は狩野元信の印章を有する一品。京都国立博物館と栃木県立博物館の作例はいずれも「輞隠」と「□信」(「之信」か)の印を有します。「輞隠」と「□信」の印章を用いたとされるのは狩野元信の弟である狩野雅楽助(かのう うたのすけ)です。またヴァージニア美術館の布袋秋冬山水図については「右都御史之印」と読める印章(ただし基準印とは印面がやや異なる)を有することから小田原狩野派の絵師と目される狩野玉楽(かのう ぎょくらく)の作と伝わるものです。長吉筆の布袋図はこれらとよく似た図像を示しています。とくに京都国立博物館の輞隠印布袋図との類似は顕著で、図像の一致のみならず、筆法、さらに筆を翻す箇所や筆を継ぐ箇所まで悉く類似しています。長吉筆布袋図をわずかに時計回りに回転すればほとんどの線が重なるほどの類似を示します。これらの現存作例の伝承筆者は15世紀後半から16世紀前半にかけて活動した元信と、そして雅楽助、玉楽など元信の次世代に位置する絵師です。つまり、袋に坐って袋を左手で掴む仕草をとる布袋の図像は元信周辺で盛んに描かれたといえそうです。ただし、いずれの作例も画中に賛をとどめておらず、その仕草が何を意味するのかについては考える材料が不足しています。
絵師長吉
本図左下には朱文壺形印「長吉」が捺されます[図3]。印付きが芳しくなく「長」とされる上の文字が読みにくい状態ですが、署名はないため、このやや掠(かす)れた印章のみが、本図を手掛けたのが長吉なる絵師であることを伝えます。いったい長吉とはいかなる素性を持つ絵師なのでしょうか。これについては残念ながらほとんど記録が残っておりません。それゆえ遺された絵に長吉の画風を探り、その特徴を考えることが大切です。本図に捺されるのと同様の印章を画中に留める作例に以下の作品があります。
観瀑図 泉屋博古館
瀟湘八景図 藤田美術館
山水図屛風 The Metropolitan Museum of Art
山水図 ベルリン東洋美術館
虎渓三笑図 静嘉堂文庫美術館
蘆雁図 根津美術館
栗鼠図 Museum of Fine Arts, Boston
画題においては山水図が多数を占めますが、人物や花鳥も手掛けていることから、特定の画題を専門にした絵師ではなく幅広い画題をこなす絵師とみなせます。泉屋博古館の観瀑図などの山水図をみると、謹直な筆線で構築された山水景観は元信の楷体山水に通ずる様式を示しています。長吉は元信の活動期に接するようにして活躍した絵師とみなせそうです。
狩野派絵師でもある朝岡興禎(あさおか おきさだ)が江戸時代末にまとめた画人伝である『古画備考』には「長吉、学元信、有風致、往々傳世矣」と長吉が元信に学んだことを伝えます。この記述については観瀑図(泉屋博古館)などの長吉印山水図と元信の楷体山水図との近似が一定の信憑性を与えていますが、長吉筆布袋図が、元信の周辺で複数点描かれたと思しき布袋図と同じ図像を示し、なおかつ京都国立博物館の輞隠印布袋図と筆法に至るまで近似する点は、長吉が、狩野雅楽助と同様に元信の周辺で活動した絵師であることを教えてくれます。本図は、長吉が山水図のみならず人物画においても、元信の画風をふまえていることを伝える好例といえそうです。
(橋本 遼太・当館学芸員)
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