展示

風俗三十二相

ウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。

2022年10月の逸品

風俗三十二相

風俗三十二相

風俗三十二相
さむさう 天保年間 深川仲町芸者風俗
月岡芳年

展示期間:2022年10月6日(木)~11月15日(火)
展示場所:常設展2階 トピック展示

 10月の「今月の逸品」は、月岡芳年(1839~92)没後130年という節目に合わせて開催したトピック展示『芳年の描く別嬪(べっぴん)』にて展示している、芳年の晩年の傑作揃物(そろいもの)の一つ「風俗三十二相」をご紹介します。

 「風俗三十二相」は、明治20(1887)年11月から明治21(1888)年11月の約1年間に全32点(目録を含むと33枚)が刊行された美人画の揃物(シリーズ物のこと)です。今回は、当館に所蔵されているものの内7点を展示します。
 作者の月岡芳年は、生々しい血の描写が印象的な「血みどろ絵」と呼ばれる作品群で脚光を浴びた絵師ですが、画業全体をみると幅広く様々なジャンルの浮世絵を描いていることが分かります。美人画もその内の一つで、コンスタントに制作を行っていますが、その中でも「風俗三十二相」は、女性の様子を詞書(ことばがき)による説明に頼らずに仕草や表情のみで伝える高い描写力と、彫り摺りの巧みさなどから、後世において芳年の美人画の集大成とも語られています。
 「風俗三十二相」の魅力は、「~そう」という副題に沿って、様々な時代、職業、年齢の女性を当時の風俗に則って描いている点です。浮世絵では、仏の身体に備わっている特徴的な形状(白毫(びゃくごう)など)を意味する「三十二相」という仏教用語を、三十二パターンの女性の姿を描く揃物の名称として用いるものがあり、本作はその形式に則って制作されています。先行作品には、歌川国貞の「今様三十二相」(図1)や豊原国周の「当勢三十二想」(図2)などが挙げられます。上記の揃物の題が「今様」「当勢」とあるように、浮世絵に描かれる美人の多くは、同時代の女性の姿でした。しかし、「風俗三十二相」は約3分の2の割合で江戸時代という過去の女性の姿を描いています。これは、明治時代、急速に進む西洋化の反動で「江戸懐古」をテーマにした浮世絵が数多く出版されるようになったため、その流行を「風俗三十二相」も反映したことが推測できます。
 上記で述べたように、「風俗三十二相」は各時代の風俗をふまえて描いているため、鑑賞の際はその一つ一つを紐解いていく面白さがあります。以下、その注目ポイントをいくつかご紹介します。
 「ひんがよささう 亨(原文ママ)和年間 官女之風俗」(図3)や「みたさう 天保年間 御小性(原文ママ)之風俗」(図4)では、下唇が緑色(図3部分)をしている女性が描かれています。これは「笹色紅(ささいろべに)」という、文化・文政年間(1804~30)の頃に流行した、紅を何度も塗り重ね、玉虫色へと変化させるメイク法でした。実態としては、紅が当時非常に高価だったために実際に紅を塗り重ねるメイクが可能だったのは一握りの裕福な家系の女性に限られていたそうです。代わりに庶民の女性たちは、唇に薄墨を塗ってから紅を重ね、笹色紅風のメイクをしていたことが伝えられています。
 「かいたさう 嘉永年間 おかみさんの風俗」(図5)では、青い眉の剃り跡にお歯黒姿で、年末に夜分まで開かれた歳の市にて福寿草の鉢を選ぶ女性が描かれています。当時の女性は、結婚するとお歯黒を塗り、子供が出来ると眉を剃り落とすことが一般的でした。
 「さむさう 天保年間 深川仲町芸者風俗」(図6)に描かれている女性が来ている着物(図6部分)は、「行儀小紋(ぎょうぎこもん)」という白く小さな丸が規則的に並ぶ柄です。「小紋」とは、一定の間隔で文様を染めた柄の内、特に細密な文様の名称です。派手な装いを禁止された武家の工夫から発展した柄で、江戸時代前期の頃から一般庶民の間にも広がり、人気を博します。描かれた女性は、辰巳芸者という深川を拠点に活動する芸者です。深川は有名な岡場所(幕府非公認の遊廓のこと)が多数存在し、その中でも仲町は高級な店が並んでいました。辰巳芸者は、芸は売っても色は売らないという気風や、男性物の羽織を着るといった男装姿が、江戸の粋を体現していると評判だったそうです。遠目から見たら素っ気ないようでも、近くで見ると多様な柄で個性を示す「小紋」の装いは、辰巳芸者にも通じる江戸の美意識を表したものでした。
 「すゞしさう 明治五六年以来 芸妓の風俗」(図7)の屋形船の中で退屈そうに涼む芸者は、季節に合わせて体が透けて見えるほど薄手の着物(麻布か)を着こなしています。その布地の質感は、究極まで磨かれた職人の緻密な彫り(図7部分)によって、徹底的に再現されています。
 「風俗三十二相」は摺りにも見所があり、「ひんがよささう」では空摺という絵具をのせずに版を摺り模様を浮かび上がらせる技法(図3えりの部分)や、「みたさう」では正面摺という色をのせた浮世絵に模様を彫った版木を当て、バレンなどで擦り、艶を出す技法(図4帯の部分)といった工夫が施されています。
 浮世絵は、現代では博物館や美術館で鑑賞する美術品として扱われていますが、かつては、絵師、彫師、摺師という職人たちが技術を結集して作った、人気の高い娯楽商品でした。その中でも「風俗三十二相」は、芳年をはじめとした熟練の職人たちが手掛けた最高品質のシリーズだったのです。今回ご紹介した注目ポイントは、本作の魅力のほんの一部です。展示室では、また異なった注目ポイントもご紹介しておりますので、当館に足を運んでいただき、是非その他の芳年の美人画と合わせて、展示をお楽しみください。

(山口 希・当館非常勤学芸員)

参考文献

『江戸東京学事典』小木新造・陣内秀信・竹内誠・芳賀徹・前田愛・宮田登・吉原健一郎編、三省堂、1987年
『日本ビジュアル生活史 江戸のきものと衣生活』丸山伸彦編著、小学館、2007年
『芳年―「風俗三十二相」と「月百姿」―』太田記念美術館編、太田記念美術館、2009年
『謎解き浮世絵叢書 月岡芳年 風俗三十二相』町田市立国際版画美術館監修、日野原健二解説、二玄社、2020年
菅原真弓「月岡芳年美人画考」『京都造形芸術大学紀要[GENESIS] 第16号』京都造形芸術大学、2012年、95~109頁

ページトップに戻る